千日デパート火災事件

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千日デパート火災事件(せんにちでぱーとかさいじけん)とは、昭和47年(1972年)に大阪ミナミにある千日デパートビルで発生した火災事件である。この事件は日本のビル火災史上最悪の惨事となり、同時に消防法改正の契機にもなったことで知られている。

概要[編集]

当時の千日ビルは地上7階建て。事件は昭和47年(1972年)5月13日の午後10時30分頃に、電気工事中だった3階のスーパーから出火し、煙が空調ダクトやエレベーターの昇降路を伝って、7階のキャバレーに充満して従業員や客らおよそ180人のうち、118人が煙で窒息したり逃げようとして飛び降りたりして死亡した。焼失面積はおよそ8800平方メートルで、負傷者は42名。一部の防火シャッターが閉められていないなどの防火体制の不備が後に明らかになっている。

この大惨事は防火対策が強化される一つのターニングポイントとなった。昨年に北新地ビル放火殺人事件が発生していたこともあって防火対策の在り方が問題視されるようになり、昭和49年(1974年)までに消防法や建築基準法などが次々と改正されていき、スプリンクラー自動火災報知機を設置しなければならない建物の対象が拡大され、6階以上の建物には原則2か所以上の階段の設置を義務付けるなど対策が進められた。また、不特定多数が利用する大規模施設には、建設前の設計段階で、専門家から防火対策のチェックを受けることが一般的となった。

この事件が起きた日は現在、ビル火災に対する教訓の日として日頃の備えの大切さを現在に伝えることになっている。

火災後、千日デパートビルは取り壊され、新ビルエスカールなんばが建設され、2023年現在も営業している。

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