北野さき

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北野さき(きたの さき)は千葉県出身の主婦。ビートたけし北野大の実母。

概要[編集]

出生地の千葉県房総で早くに身寄りを失い、奉公に出ざるを得なかった。奉公先で、女義太夫だった北野うし[注 1]に見初められ、明治大卒の息子と婚約したが、うしの息子は早逝し、代わって漆職人[注 2]だった甥の菊次郎の嫁になった。
うしの援助で洋品店を自営したが、呑んだくれの菊次郎によって身上を潰され、足立区に移住。そこで、三男一女[注 3]を儲け、子供を育てた。

四男・たけしが有名になった後、炭酸飲料水のCMに出てたけしと共演。また、三男・大もテレビに出演するようになってから、子育ての講演会に呼ばれるようになった。

夫に先立たれた後は、大が生家に引っ越して、大の家族と晩年を過ごした。

人物[編集]

三男・大の自著によれば、弟・たけしは一番母親の性格を継いでいて、母も毒舌であり、テレビ出演者に独り言の毒批評をすることがあり、老人会で老後の話になった際も毒舌を吐いたとのこと。また、たけしも母には敵わないエピソードもあるとのこと[注 4]
子供の進路に対する信念が強く、息子たちに工学部機械工学科の進学を望み、長男・重一とたけしは母親の意向通り進学。たけしが逃げるように浅草フランス座住み込みで喜劇役者深見千三郎の弟子になっても、中途除籍にならないように授業料を支払った。一方、千葉大学教育学部英語科に合格した大は母親の意向で千葉大進学を断念せざるを得ず、学科は妥協して、明治大学工学部工業化学科に進学した。

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  1. 芸名は竹本八重子。学生が「道摺連(どうするれん)」を結成するほどの人気義太夫語りだったとのこと。
  2. 戦時中に工芸品統制で塗装業自営に転身。
  3. 次男は早逝。
  4. たけしが「産んでくれと頼まれた覚えはない」と母に捨て台詞を吐いたところ、さきが「頼まれるのならお前のようなバカは産まない」と返された話が、バラエティで語られた。