前少帝 (前漢)

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少帝(しょうてい、? - 紀元前184年)は、前漢の第3代皇帝。『太平御覧』などでは前少帝と書かれる(在位:前188年 - 前184年)。

生涯[編集]

第2代皇帝の恵帝(劉盈)と後宮の女性との間に生まれた庶子といわれるが、恵帝には子供が無かったといわれているので、次のような話がある。たまたま呂氏ゆかりの女性でかつて宮廷に仕え、実家に帰って妊娠していたのを知った呂太后が、その女性が男子を生むとこれを恵帝の子として密かに立てたという。そのため、張皇后魯元公主の娘)にはわざわざ妊娠しているように腹部を膨らませて、偽装工作までしたという。なお、この秘密を守るために生母は男子を生んでしばらくして殺害されたといわれる。

少帝は幼児なので、呂太后が祖母として政権を掌握して専権を振るった。ところがある程度成長した少帝に、本当の生母が既に呂太后に殺されたということを聞かされると、自分が成長したら必ず太后を殺すと言いだした。これを聞いた呂太后は逆に少帝が乱心したとして幽閉し、表向きは重病であるとして発表。そして重臣を集めて少帝の廃位を実行に移した。新たな皇帝には、恵帝の子で少帝の異母弟とされる少帝弘が立てられた。

少帝は間もなく、後難を恐れた呂太后の命令で殺害された。

登場する作品[編集]

テレビドラマ