利用者:メーデー!:エンペディアの真実と真相/Enpedia性
私論てきなやーつ
Enpedia性[編集]
Enpedia性ってちょっと前に流行りましたよね。って書きながら調べてみたら初出2018年夏なのね。なお今、2020年初春。Enpediaとは何か?という公式的な同意はEnpedia:エンペディアについてにまとまっている通りで、Enpedia性っていうのもそれ以上でもそれ以下でもないんだろうけど、まあ色々考える余地はあるよね、っていうやつ。なんだそれ。
既存の百科事典サイト(ウィキペディアなど)とは異なる方向を模索する、実験的なサイトです。分かりやすい編集方針と、ゆるい運営体制を、サイト体質としています。 -Enpedia:エンペディアについて リードセクション
言い方は悪いのかもしれないけど、Enpediaっていう場は、WikipediaとかYourpediaとか、そういう既存の場を前提として、その間を取ってUncyclopediaエッセンスを一滴垂らした、みたいな所だと思うんですよね。だからこそカテゴリ:ヘルプあたりも細かい編集方法までの解説を必要としていないし、テンプレート:エンペディアの方針の中身も必要最小限で済んでるし。
要するに、Enpediaの中の方針っていうのは、他のMediaWikiサイトの方針・空気感が前提としてあって、Wikipediaほどまで厳しくしない、でもYourpediaほどまで緩くしすぎない、というのが根本的なところにあって、暗黙的にそういう他サイトのやり方を知っていて、なおかついい感じに空気を読んでいろいろやってね、というやり方になるのかなぁ。新規参加者獲得にとっては不利だけど。
たぶんすごい高度な(というか面倒くさい)ことではあるんだけど、Wikipediaみたいな規則主義の場以上に、何らかのアクションにあたっての確認・指摘を丁寧かつ慎重に進める、という前提で、「基本的なやり方は知ってるor単純な方針文書から推測できますよね、あとは自由に楽しくやりましょう」というサイトであるのが、私の思うEnpedia性かな。
じゃあEnpedia性を損なうって何だ?というと、方針文書を攻撃力か何かだと思って振り回すとか、自分の編集方針を強行的に行使して聞かないとか、そういうのはどうしてもEnpediaっぽくないな~。渾身のジョークが消されたら、それは相手の落ち度ではなくて、自分のジョークがクソつまんねぇだけなのだ。
Enpediaは「どうでもいい」[編集]
悲しいことに、エンペディアは、社会一般的に「明日無くなっても困らない」サイトでしょう。ウィキペディアが明日無くなったら?おそらく困る人は少なからずいるでしょう。でもエンペディアは違います。マニアックな記事があり、マニアックな人たちが見ている、マニアックなサイト。
私達が明日、せーので休んでも大丈夫。当たり前だけど仕事じゃないし、趣味というほど凝ってない。ボランティアなんて大層なものじゃなければサークルみたいな組織でもない。エンペディアって、いい意味で、どうでもいい存在なのです。
有名なものだけど、記事がなくてもどうでもいい。誰かが何かを始めたけれど、興味がなければどうでもいい。あれが余計でも、これがなくても、どうでもいい。そういう、付かず離れず、ちょっと突き放した感さえある距離感も、ゆるさの良いところなのかもしれないですね。
誰かが何かをしないといけない…ということは極力少ない方が良いし、そういう義務を負わせる、押し付け合うというのも不健全だし。
自警行為の指針について[編集]
おおむねEnpedia:自警行為の指針の内容には賛同していて、サイトの方針にそぐわない言動、利用者を排斥するのは一見簡単だけれども、めちゃんこ難しい事なんですよね。そのうえで、JAWPとか方針がガチガチのガッチンコッチンのサイトであれば、「方針の求める最小限度の案内をこなして、聞き入れられない」という一種の実績を示すことで、ブロックだ何だ、と話を進めていけるわけで、あちらは一応「初心者自警にも優しい」環境と言えるかな。
いっぽうEnpediaは、上に述べた事情もあって、自警行為者のスキルが物を言うサイトだと思うんですよね。対話相手の特徴、思考を掴んで、適切に指摘・誘導する、対人関係の経験値が低いと、正直どうにもならない。
要するに、「人間関係の礼節を逸せず、非対面であってもパーソナライズしたコミュニケーションをとれる」。常識と、そのもっと先のスキルを持て、という正直むちゃくちゃハードルの高い話。
常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen. - Albert Einstein, Wikiquoteより
上の言葉はアインシュタインによるもので、「社会一般常識」と呼ばれているようなものは、「世間の過半数が持つ偏見に過ぎない」的な名句だけれども、裏を返せば「常識とは人間が18年かけて徐々に醸成する社会的スキルである」、と言い換えることも出来ると思うんですよね。それだけ、一朝一夕のものではないし、あるいは18歳になったからといって誰も彼もが修得しているわけではないと思う。アインシュタインの意図するところとは全く違う解釈だろうけど。ごめんねアインシュタイン。
理想としては、常識的立ち居振舞いが問題なく出来、技術的な要素をサイエンスコミュニケーターばりの伝達力で伝えることが出来るひと。まぁ、そんな理想的な人材は中々居ない(居たらインターネット百科事典あるいはモドキサイトのボランティアなんかせずサイエンスコミュニケーターをぜひしてくれ)ので、どこで妥協を付けるか、ですかね。
少なくとも、JAWPあたりより、丁寧、慎重でありたい。迅速は二の次であり、迅速しか誇れないのであれば、それはあまりにも妥協が過ぎる。