刀工田中國廣宅跡

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刀工田中國廣宅跡(とうこうたなかくにひろたくあと)とは、現在の宮崎県東諸県郡綾町大字入野1955の3に存在した田中國廣の自宅跡である。

概要[編集]

田中國廣とは、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての刀工で、足利学校に入って信濃守を称して作刀する。後に京都の堀川一条に定住して、多くの名刀を鍛え、正親町天皇に一刀を献上して「信濃守國廣」の号を与えられた。國廣の作る相州物の作風を留めた堀川物は、当時名声を博したと言われ、國廣は新刀界の第一人者と評された。

現在は宮崎県指定の史跡となっており、綾町の南部にある古屋集落に自宅跡を示す石碑が建立されている。