倭迹迹日百襲姫命

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倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は第7代孝霊天皇の皇女とされている。箸墓伝説や神意の伝達などを行う巫女的女性である。

概要[編集]

日本書紀では倭迹迹日百襲姫命であるが、古事記では「夜麻登登母母曾毘賣命」(ヤマトトモモソビメ)の名称で登場する。伝承上の人物と解釈されている。

神婚[編集]

倭迹迹日百襲姫は三輪山の神である大物主神の妻になったとされる。神は夜に通い昼間は姿を消すので、姫は昼間に姿を見せるよう依頼する。大物主はお前の櫛笥に入っているから驚くなという。翌日に櫛笥を開けるとその中には小さな蛇がいた。姫命は驚いて叫んでしまう。大物主は、汝はわたしに恥をかかせた。今度はわたしが汝に恥をかかせると言い、三輪山へ帰ってしまう。姫命は悔やみ陰を箸で突いて死んでしまう。人々はその墓を「箸墓」と呼ぶようになった。箸墓伝説と言われるものである[1]

『土佐国風土記』逸文に「倭迹迹姫の皇女、大三輪の大神の妻となりき。夜ごとに一壮士あり。密かに来りて暁に去りき。皇女、奇(あや)しと思ほし、臍を針に貫き、壮士の暁に去るに及びて針を裾に貫きき。明日になりてみれば、唯三輪のみ器に残れりといえり。時の人、三輪村と名付けき」という記載がある[2]。物語は日本書記と少し異なるが、大三輪大神との神婚は同じである。

神意の伝達[編集]

神明が倭迹々日百襲姫命に憑いた。「天皇、災害が多く国が治まらないことを憂えていると質問すると、神はよく私を敬えば、平和になると答えた。天皇はそのようにいうのは何の神かと問うと、倭の国にいる神で、大物主神というと答えた。この伝承のように、神憑りによる神意の伝達で崇神天皇を助けたとされる。

リファレンス[編集]

  1. 日本書記、巻第五崇神天皇
  2. 武田祐吉 編(1937)『風土記』岩波書店、p.328