井継有
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井 継有 | |||||||||
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井 継有は、中国武術界の心意門派で門外不出とされてきた心意六合拳を、日本に初めて伝来させた第一人者。
現在、日本武道界でも広く浸透している掌打、正面蹴り”蹬一跟”、回し蹴り、連打などは、井継有から伝授されたとされている。
70年代日本武道は各流派特技は持っているが互いに実戦交流はない。
格闘技が強くなるには “技”と”実力”が必要。
井が現状を見て流派には関係なく実践交流を呼びかけ始めた。
- 1985年 千葉真一 京都スタジオ 武術指導
- 実戦交流として参加を呼びかけ、1987年11月23日 「中野区立体育館」 井は 蘇東成 常松勝に働きかけ、東京で【第一回散打交流大会】を開催。井の生徒は“掌打”技を発揮して、その圧倒的な印象が日本武道界へ影響を与えた。
- 1987年「武術 7月号 福昌堂掲載」 上海のケンカ拳法、初、心意六合拳紹介される (各流派交流を呼びかける)
- 1988年7月頃、格闘通信記者がキックボクシングのグループ連れて、井とそのキックボクシングのグループが交流した。
- 「ベースボールマガジン社 格闘技通信 NO22・中國武術格闘技通信6月号増刊 掲載」
- 実戦中相手のキックを井氏の頭で突いた時、相手の足骨が響く音。歩く姿が既におかしくなった相手が帰る時残す言葉は“キックボクシング世界にキックを頭で突きに来る人はありません”
- 1989年、神戸で【心意拳舎実戦交流大会】を実施。
- 井自ら日本武道各流派へ申込、実戦・交流を深める。
- 1993年3月号 フルコンタクト KARATE・ 講談社「少年マガジン」など 硬気功 豹頭憧碑 鋼筋刺喉 など 掲載
- 健康開発協会(株)道場マネージャー高橋立ち合いのもと、道場に来られた空手道の訪問客は井の40人くらい生徒前に公言、“道場破り”交流。来た三人組の一人は道着、黒帯の二箇所をガムテープで貼り付け、実戦中に露出した二文字、“蹬一根”で3メートル飛ばされ、三階建物道場の窓口から落ちそうになり、井は寸前に手を伸ばした。土下座して降参を申し入れ。武道の神髄【心友は実戦中にあり】
経歴[編集]
1948年、滕県(古称善国)生まれ 中医学院卒業。 1970年代後半、関西から格闘技の指導と各流派との交流を実施。
1983年、尼崎市長賞受賞。
1984年、心意拳舎(旧中国武術学会)を発足し主宰となる。
1987年、雑誌「武術」「格闘技通信」「武藝」「少年マガジン」などに掲載、特集も組まれる。
先祖は明代に山海関(万里の長城第一関)を鎮守した満族将領宣武将軍・井明成の第十二世子孫にあたる。
幼少より家伝の武術を学び、その後心意、太極の各名門大師より秘伝を授かる。
代表的著作[編集]
- 『心意六合拳 十大形』
- 『健康初階』