五代目多三郎一家組長殺害事件

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

五代目多三郎一家組長殺害事件(ごだいめたざぶろういっかくみちょうさつがいじけん)は、平成 20(2007)年5月31日に発生した暴力団の内部抗争による殺人事件。山口組系山健組内の五代目多三郎一家後藤一男総長が同じ山健組健國会により刺殺された。

概要[編集]

2007年5月31日午後6時15分ごろ、兵庫県神戸市中央区二宮町の路上で、指定暴力団山口組系四代目山健組傘下の三次団体五代目多三郎一家の後藤一男総長が何者かに刺される事件が発生、総長はその場で即死した。警察は実行犯として当時山健組の若頭を出していた健國会の組員(最終的に12名)を逮捕、のちに殺害を指揮したとして山健組若頭山本國春本人を逮捕した。裁判は結審し、実行犯はそれぞれ懲役13年から3年(執行猶予含む)の実刑となり、山本國春若頭は情状酌量を得るために引退し健國会の解散届を出すも実らず、最高裁で懲役20年の判決が確定した。


捜査経過[編集]

警察は、山口組内部の勢力争いが背景にあるとみて捜査。当時、服役中の組長に変わって指揮を取っていた山口組ナンバー2の若頭(弘道会出身)を批判して、後藤が破門されたという話が出てくる。そして、警察は「山健組系の組織が山口組内部での体面を守るために山口組最高幹部を公然と批判していた後藤を制裁目的で殺害した」として捜査。

2009年1月13日、殺人予備罪で逮捕されていた組長の山健組傘下の組長冨沢栄と同幹部山口真一を殺人容疑で再逮捕した[1]。その後、川上秀紀・久保井剛ら3人も逮捕される。2009年2月4日、四代目山健組の健國会・賢仁組組長で健國会若頭川田賢一ら4人を殺人罪で起訴する。殺人罪で逮捕されていた運転手役の山口は、「運転手役で関与度が低い」として殺人幇助罪で起訴された。

兵庫県警暴力団対策課と葺合署は2010年4月6日に組織犯罪処罰法違反容疑で「兼國会(現・健國会)」組長の山本(井上)國春を逮捕した。この事件の逮捕者は13人目となった。

裁判経過[編集]

井上の裁判[編集]

2012年2月10日、神戸地裁丸田顕裁判長)は、無罪判決(求刑懲役25年)を言い渡した。裁判員裁判の全面無罪判決は13件目。 裁判では、弁護側が「殺害を指示したことはない」と主張する一方、検察側は配下の証言や携帯電話の履歴から「殺害直前の現場の指揮役に後藤組長の居場所を携帯電話で教える」などの指示をしていたと主張していた。判決では、指示に使ったとされた携帯電話を井上組長が使用していたとは言えないとして、指揮役に連絡を取っていたとは言えないと判断している。2月22日、検察側は無罪判決を不服として控訴した。裁判員裁判の全面無罪判決に検察が控訴したのは八件目で、神戸地検としては初。

2014年1月26日、大阪高裁的場純男裁判長)は一審判決を破棄して懲役20年の逆転有罪判決を言い渡した[2]。判決では、犯行は幹部個人の利益ではなく兼國会のためのものだったと判断。兼國会の幹部から下部組織まで関わった大がかりな組織による犯罪と認定した上で、「経験則上、特段の事情がない限り、組長の指揮命令に基づいて行われたと推認すべきだ」とした。そして、一審判決を「経験則に反する不合理なもの」として破棄した。井上は、判決を不服として上告した。

川田の裁判[編集]

2012年3月2日、神戸地裁細井正弘裁判長)は、組織犯罪処罰法違反に問われた川田賢一組長に「暴力団による組織的な犯行」として、懲役19年(求刑懲役25年)を言い渡した。なお、川田は井上組長の関与を否定していたが、判決ではI配下の組員(運転手)の証言や携帯電話の通信履歴などから「井上組長が実行役に被害者の居場所を教えたと推認できる」と共謀があったと判断しており、井上の一審判決とは逆の内容となっている。

控訴するも、大阪高裁は一審判決を支持して控訴を棄却。川田は、判決を受け入れて服役している[3]

川上の裁判[編集]

2009年9月25日、神戸地裁(東尾龍一裁判長)は、懲役13年(求刑懲役16年)の有罪判決を言い渡した。「悪質な犯行で、地域社会に与えた不安も大きい」とした。

関根の裁判[編集]

2009年4月20日、神戸地裁(佐野哲生裁判長)は関根仁志に対して懲役10年(求刑懲役15年)の有罪判決を言い渡した。判決では、他の組員と共謀して後藤の腹部を刃物で刺して殺害したとされている。その後、判決を受け入れて服役している。

冨沢の裁判[編集]

2009年6月18日、神戸地裁(佐野哲生裁判長)は、「殺害計画の認識はあったが、指示に従ったにすぎない」として、殺人罪ではなく殺人幇助罪を適用。懲役4年(求刑懲役10年)を言い渡した。川上らと共謀し、後藤を刃物で刺した関根を乗せた車を運転したとしている。

久保井の裁判[編集]

2009年6月19日、神戸地裁(岡田信裁判長)は、殺人罪で久保井剛に懲役12年(求刑懲役15年)を言い渡した。判決では、川上らと共謀して後藤を刺殺したとして「実行役として確定的な殺意に基づく犯行」と判断した。その後、判決を受け入れて服役した。

山口の裁判[編集]

2009年6月30日、神戸地裁(岡田信裁判長)は、殺人幇助罪で運転手役だったYに懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役5年)の有罪判を言い渡している。「暴力団の組織的な犯罪に 加担した」とされた。

補足[編集]

  • 裁判員裁判で全面無罪となった後、検察が控訴して2審で逆転有罪となったのは3件(本事件が4件目)。過去の3件は、いずれも覚せい剤取締法違反事件だった。

脚注[編集]