久世光彦
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久世光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日-2006年3月2日)は、テレビドラマの演出家、作家。
人物[編集]
筆名・小谷夏(コタニ・ナツ)、筆名(作詞)=市川睦月(ムツキ)。東京・阿佐ケ谷生まれ。富山県富山市出身。父は陸軍少将で、兄に政治家の久世公堯がいる。東京大学文学部美学美術史学科卒。TBS入社。数々のドラマを手掛ける。「寺内貫太郎一家」のプロデュースなど、向田邦子との仕事も多く、ついで「ムー」などの演出家をしたが、女優と不倫していたことを樹木希林にばらされて退社。その後にテレビ制作会社を設立。貴族的な美意識に裏打ちされたエッセイを書いて、1993年の『蝶とヒットラー』でドゥマゴ文学賞を受賞(辻邦生選考委員)。同年、初の小説『一九三四年冬ー乱歩』で山本周五郎賞を受賞。同作で直木賞候補となり、二度直木賞の候補になった。
1996年『聖なる春』で芸術選奨文部大臣賞受賞、98年紫綬褒章受章、99年『蕭々館日録』で泉鏡花文学賞受賞。同作で、「昭和」という元号が定められた時、「昭」という字は知られていなかったという説を披露したが、昭憲皇太后もいたし完全な間違いである。芥川龍之介に心酔し、同作では「研究」などという下品なことはしないと揚言する貴族主義者で、戦前賛美など、右翼的なところもあった。ヘビースモーカーとして知られた。