中島敦

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日本の中島 敦(なかじま あつし、1909年5月5日 - 1942年12月4日)は博覧強記、明治四十二年、零歳にして生を東京に享け、ついで文才に恵まれるも、性、繊細、他を懼れるところ頗る厚く、世に迎合するを潔しとしなかった孤独な小説家である。

代表作『山月記』は、よく国語の教科書に掲載されている。

中島敦あるある[編集]

  • 「気性」ではなく「気象」。[1]
  • 中黒で文章をつなぐ。[2]
己の当然嗣ぐべき位を奪った・そして執拗に己の入国を拒否する・貪慾な憎むべき・若い衛侯が在るだけである。(中略)驚いて眼を上げると、此の家の主人らしい・赭ら顔の・前歯の大きく飛出た男がじっと此方を見詰めている。 — 『盈虚』より引用
  • 「~~、と。」
彼といっしょに出ていった一人の弟子は不思議な報告をした。自分が油断をしているひまに、少年はひょいと水に溶けてしまったのだ、自分は確かにそれを見た、と。他の弟子たちはそんなばかなことがと笑ったが、師の蒲衣子はまじめにそれをうべなった。そうかもしれぬ、あの児ならそんなことも起こるかもしれぬ、あまりに純粋だったから、と。 — 『悟浄出世』より引用

脚注[編集]

  1. 現在では「天気」の意味でしか「気象」の語を用いないが、本来は「性格」と同じ意味で「気象」と表記しても誤りではない。
  2. 他の作家にも見られないわけではない。(例えば、下記は三島由紀夫『仮面の告白』の一節である。)しかし、中島敦ほどしつこく多用している人は中々お目にかからない。
    こけおどかしの鉄の門や前庭や場末の礼拝堂ほどにひろい洋間などのある・坂の上から見ると二階建てであり坂の下から見ると三階建の・燻んだ暗い感じのする・何か錯雑した容子の威丈高な家だった。