ロマン・ホルンジー
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ロマン・アントノビッチ・ホルンジー(Roman Antonovich Khorunzhy、ロシア語:Роман Антонович Хорунжий、1878年7月24日 - 1920年5月12日)は、ロシア帝国、白軍の軍人[1]。
生涯[編集]
ハリコフ県スラビャンスク (ハリコフ)に生まれる。
市立大学卒業後は、地元の都市公共銀行の会計士補として勤務し、第一次世界大戦時は、州民兵として従軍し、1915年末に第3モスクワ少尉学校に入学し、1916年2月14日に卒業した為、第664州民兵分隊の中尉として勤務する。
十月革命後は復員し、故郷に帰還するが、内戦に伴い、南ロシア軍の下士官として参加するが、1920年のクリミア防衛戦で負傷及び捕縛され、2ヶ月後のフェオドシヤにて赤軍兵士により殺害される。
家族[編集]
妻と4人の子供と2人の兄弟(ボリスとフィリップ)がいる[2]。
脚注[編集]
- ↑ “Хорунжий Роман Антонович — Офицеры русской императорской армии”. ria1914.info. 2023年1月20日確認。
- ↑ “Хорунжий Роман Антонович” (ロシア語). Бессмертный барак. 2023年1月20日確認。