レナータ・アドラー
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レナータ・アドラー(Renata Adler、1938年10月19日 - )は、アメリカ合衆国の作家、ジャーナリスト、映画評論家。
ドイツからアメリカに亡命中の弁護士の娘としてイタリアのミラノで生まれ、コネチカット州ダンベリーで育つ。1959年ブリンマー大学卒業。1961年パリ大学卒業。1962年ハーバード大学大学院で比較文学の修士号を取得。1979年イェール大学ロースクールで法学博士号を取得。1962年から約40年間にわたって『ニューヨーカー』誌のスタッフライターを務め、政治、戦争、公民権などについて執筆した。ボストン大学で3年間ジャーナリズムと英文学を教えた。1967年に『ニューヨーク・タイムズ』紙は『俺たちに明日はない』を酷評して多くの読者の抗議を受けたボズレー・クラウザーを同紙の映画評論家から退任させた[1]。後任としてアドラーが1968年から1969年まで同紙の映画評論家を務めた。
エッセイ「Letter from the Palmer House」(1968年)でグッゲンハイム・フェロー、短編小説「Brownstone」(1974年)でオー・ヘンリー賞、小説『スピードボート』(1976年)でPEN/ヘミングウェイ賞を受賞した。
1980年に『ニューヨーカー』の同僚のポーリン・ケイルが映画評論集『When the Lights Go Down』を刊行した際、『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』誌に「ポーリンの危機」と題する書評を執筆し、「耳障りなまでに、一遍一遍、一行一行、とぎれることなく、くだらない」などと酷評して話題になった[2]。
著書[編集]
フィクション
ノンフィクション
- A Year in the Dark: Journal of a Film Critic, 1968–69 (1969)
- Toward a Radical Middle: Fourteen Pieces of Reporting and Criticism (1970)
- Reckless Disregard: Westmoreland v. CBS et al., Sharon v. Time (1986)
- Gone: The Last Days of The New Yorker (1999)
- Canaries in the Mineshaft: Essays on Politics and the Media (2001)
- Irreparable Harm: The U.S. Supreme Court and the Decision that Made George W. Bush President (2004)
- After the Tall Timber: Collected Non-Fiction (2015)
出典[編集]
- ↑ Frank Rich「Roaring at the Screen With Pauline Kael」ニューヨーク・タイムズ、2011年10月27日
- ↑ 常盤新平『ニューヨーク五番街物語』集英社文庫、1985年、190頁