モナ・リザ

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モナ・リザ(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

モナ・リザ(もなりざ、英:Mona Lisa、伊: La Gioconda、仏: La Joconde)はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたイタリア・ルネサンス期の女性の肖像画である。世界でもっとも有名で、最も価値のある絵画と言われる。

概要[編集]

ポプラの板に油彩で描かれている。1503年から1606年頃にフィレンツェで描かれたと考えられている。フランチェスコ・ダ・ジョコンドの依頼で彼の夫人を描くよう依頼されたと伝わる。背景はダ・ヴィンチが好んで描く奥深い山の風景である。「スフマート」技法により柔らかくぼやかした筆使いで筆跡を残さず、非常に繊細な陰影をつけている。

1974年、日本に貸し出され、東京国立博物館で一般公開された。

諸元[編集]

名称の由来[編集]

モナ・リザの名称の由来は、ルネサンス期の作家ジョルジョ・ヴァザーリの著書『画家・彫刻家・建築家列伝』(1550年)に「フランチェスコ・デル・ジョコンドからその妻モナ・リザの肖像画を描くよう依頼を受けた」と書かれている記述に基づいている[1]

所有者の変遷[編集]

1516年にレオナルド・ダ・ヴィンチは『モナ・リザ』を携えてフランスに到着した。フランス国王のフランソワ1世は『モナ・リザ』を4,000エキュで買い上げ、フランス王室の絵画コレクションとしてフォンテーヌブロー宮殿に収蔵された。その後、1789年のフランス革命以降は『モナ・リザ』は国家の所有する絵画としてパリのルーブル美術館に移動した。

盗難事件[編集]

1911年(明治44年)8月21日、イタリア人のビンセンツォ・ペルージャは「イタリア人の作品はイタリアにあるべき」との考えから、日曜日のルーヴル美術館開館中に入り込み、掃除用具入れの中に隠れた。翌日の休館日にペルージャはモナ・リザを壁からはずし、ゆったりした服の下に隠し、さらに警備員が席を立った隙に逃走した。ビンセンツォ・ペルージャは「祖国」に絵を帰還させたことの報酬を期待し、ギャラリーのオーナーであるアルフレード・ジェリに連絡した。当時、ウフィッツィ美術館の館長のジョヴァンニ・ポッジが呼ばれ、絵を本物と証明した。そして2人は「保護」のため絵画を手に入れてから、警察に連絡をいれたため、ペルージャは泊まっていたホテルで逮捕された。モナ・リザはイタリア中で披露された後、1913年にルーブル美術館に返却された。

ハイデルベルグ大学の発見[編集]

2005年にドイツ・ハイデルベルグ大学の発見があった。ハイデルベルク大学図書館が所蔵している1477年に印刷されたキケロ書簡集[2]の欄外(余白)に、当時のフィレンツェの役人アゴスティノ・ベスピッチ(Agostino Vespucci)が1503年10月に記した「レオナルドは現在、(富豪商人フランチェスコ・デ・ジョコンドの妻である)リーサ・デ・ジョコンド(別名リーサ・ゲラルディーニ)の肖像などを3点の絵画を制作している」との書き込みを発見した。アゴスティノ・ベスピッチはニッコロ・マキャヴェッリの秘書であった。これはマキャヴェッリとレオナルドの友情を示すものである。また絵画のモデルがリーサ・デ・ジョコンドであることを証明するものである。

[編集]

  1. Vasari, Giorgio (1550) "Le vite de' più eccellenti pittori, scultori ed architettori" (vol 4 ed.). Florence: G.C. Sansoni.
  2. Cicero"Epistulae ad familiares"