フラウィア・ユリアナ

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フラウィア・ユリアナFlavia Juliana , 590年頃 - 没年不詳)は、6世紀末から7世紀初頭にかけて東ローマ帝国に実在したとされる女性。ラテン語表記では「Flavia luliana」。17世紀から18世紀スペインの歴史家ルイス・デ・サラサール・イ・カストロ1658年 - 1734年)が編纂した「HISTORIA GENEALOGIA DE LA CARA DE LARA TOMO Ⅰ」に名前が登場する。

概要[編集]

西ゴート王国の王族であるヘルメネギルドとその妃イングンデの一人息子で夫妻の唯一の子女アタナギルドと結婚。アタナギルドとの間にパウルスとアルダバスト(アルデバルトとも。611年頃生誕)という2人の子女を儲けたという。この事跡以外の記録は伝わっておらず、具体的な彼女の人物像、死亡状況は一切不明。

一族[編集]

父はクロパラテスの称号を持っていたペトルス・アウグストゥス(545年/550年頃 - 602年)、母はアナスタシア・アレオビンダ(570年頃 - 没年不詳)。父ペトルスの兄は518年から602年まで東ローマ帝国を支配したユスティニアヌス王朝第5代にして最後の皇帝マウリキウスであり、フラウィア・ユリアナはマウリキウスの姪にあたる。つまり、父方はユスティニアヌス王朝に連なる。更に母方の血筋を遡ると先祖にはコンスタンティヌス朝ウァレンティニアヌス朝テオドシウス朝西ローマ帝国皇帝の1人ペトロニウス・マクシムス、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの姉小オクタウィア5世紀の東ローマ帝国の実力者アスパルらがおり、更にアナスタシア・アレオビンダの曾祖母の1人はユスティニアヌス1世の皇后テオドラが皇妃になる前に儲けていた庶出の同名の娘テオドラ(515年頃 - 没年不詳)である為、母方でもユスティニアヌス王朝と間接的な繋がりがある。

参考文献[編集]

  • ルイス・デ・サラサール・イ・カストロ著 「HISTORIA GENEALOGICA DE LA CASA DE LARA TOMO Ⅰ」p45。