バリ層・ギリ層・ムリ層
バリ層・ギリ層・ムリ層とは、能力に応じた発達障害の社会生活の上での三階層である。借金玉が提唱した。
概要[編集]
おおむね三つ~五つくらいの階層に分類できそうに思うが、そもそも自閉はスペクトラムであるために、これらの相はくっきりと分かれているわけではない。「虹が何色に見えるか?」的な話である。「階層」なのか「境界」なのかは不明であることに注意されたい。深海魚でも常に一定の深さにいるわけでもなく、浅層と深海を往復しているものもいる。
- ギリ層
- 会社の業務にギリギリついていけるか、生活保護をギリギリ免れている層で、普通の会社員に多い。とはいえ歯科技工士などでは有能なギリ層もいる。
- 発達障害の診断が降りていない場合は「ギリ健」と表現されることもある。目安はIQ 70 以下ではあるが、とびぬけて高かったり低かったりするブレ幅の大きさが公道向きではない。いきなりアラスカで漁業やったりアフリカで農業やったりして才能に目覚めたりする人も多い。
- ムリ層
- そもそも働くこと自体が無理な層で、一般会社員を数年で辞めた後、フリーターなどになり結局そこも辞めて生活保護になるか、最初からクリエィターを目指して物にならなかった人たちである(とはいえダウン症の書家もいたりしてモノになっちゃい人もいる)。たいていは生活保護の他に親に養ってもらったりしている。
「何でこのように差が開くのか?」とか考えはじめると不条理の罠にかかって人生を誤る。
「ひとえに才能のあるなしにかかっている。」という意見もあるが、「才能」というのは他人の評価であって当人の実感ではなく、葛飾北斎は晩年になっても「俺は猫すらまともに書けん」と嘆いていたという。
つまるところ、「当該個体の生活に適していない環境に閉じこめられている」だけの話なのである。
また、「人生の過程でいかに才能を見出せる人物に出会えるかどうか」もある。「書字障害があって、ろくに読み書きもできなかったのに、たまたま兄ちゃんが医者で解剖をやらせてみたらめきめき頭角を現した」「もともとオーケストラの後ろのほうでコントラバスかなんかを引いていたが、指揮者がチフスで斃れ、『誰か譜面を全部覚えている奴はいないか?!』ということになって『あ、酷い近視なんで全部覚えてます』というので指揮者デビューして有名になった」とか、人生はどう転ぶかわからない。そこは運の要素が左右してくる。
その点理系は有利だが、大卒文系男子がたいていそうであるように、卒業後一括して営業部に送り込まれる過程では発達男子は役立たずと言われても仕方ない局面に多々ぶち当たる。とくに「発達障礙者の飼い方」に長けた上司に当たらないとまったく仕事で目が出ない。ここは運の良しあしに拠るしかない。