バラマキ財政

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バラマキ財政(ばらまきざいせい)とは、財政において収入を軽視する一方で支出を拡大させること。放漫財政(fiscal laxity)の一種。対義語は緊縮財政(fiscal austerity)。

概要[編集]

バラマキ財政というのは、政府の支出を財政規律を軽視して、政権の座にある者や与党が、自らの都合や欲得(票の獲得、裏献金の獲得など)のために、バラ撒く(お金を撒いて与えるかのような)政策を実行すること。 そのような政策のことは「バラマキ政策」とも表現されている。

日本の政治史では、自民党の田中角栄がその政権末期に彼の支持業界、票田である土木業界・建設業界の者たちに対して金のバラマキをしたことがよく知られている[1]。自民党は、政治献金をし票田で選挙の票を提供してくれる「財界」や業界団体からの要求にこたえるため財政を膨張させて、利益政治(利権政治)とよばれるような政治のしくみを生みだしてしまった[2] 。自民党は財界から集めた政治資金を、自分の後援会を通じて(観劇の会やお食事の会 等々という名目で)ばらまき、眼先の便宜供与につられた人々から)「支持」(=選挙の「票」)を調達するとともに[2]、政権を握る党として、官僚らとも癒着し[2]、国家財政・地方財政を操作し、「公的融資」などという名目で[2]、(もともと国民が額に汗して苦労して働いた結果生じた貴重な税金であり、本来ならばあくまで国民全体の共有のお金だというのに)、これまた自民党は、まるで私的なお金のように見なして、自党に都合の良い「財界」や特定の利益団体に対してその国民のお金を横流しする仕組みを作りだしてしまった[2]

欧州と比較してみると良くわかるが、欧州の国民は、命がけで、自力で悪徳な権力者たちを打倒し、自力で民主主義を手に入れてきた歴史があり、非民主的なことがおこなわれると(一時的にブレたとしても)、やはりそれを非難し、民主的な政治を取り戻そうとする。だが、日本の国民は自力で民主主義をもぎ取ったわけではなく、その精神がひとりひとりの国民にしっかりとは根付いてはおらず、いまだに非民主的なことが行われている傾向がある。日本の政治は、表向き、形式的には民主的な選挙が行われていて、さも民主(民が主)であるかのような形にはなっているが、本質的には、一部の大企業経営者や一部の業界が与党の政権中枢と接近・癒着し、多額の政治献金が裏から渡され、(個人宛てには献金できないので)政党の献金受付法人宛てに献金したことにしておいて、実際には特定の派閥に送金される、という灰色の行為、政治資金を規制する法の網をかいくぐり、国民を欺く行為が行われている。)それと財界や業界からの献金と、政治家が(国民全員を大切にせず)財界や特定業界に金をバラまく、ということが、一対の行為として行われてきた歴史がある。

同じ財政的支出でも、それが国民の幸福に本当に役に立つのであれば問題は無い。憲法というのは、政府の国民に対する義務を明確にする法律であり、多くの国の憲法が、政府は国民の生命権や生存権に対する責任を負うている、と明記している。日本国憲法も、日本政府は国民の生命権生存権を護る責任があることが明記されている。第25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とあるのは、日本政府はそれを実現させる義務を負うている、それを実現させなければ憲法違反である、という意味である。したがって、日本政府が国民の福祉を広く実現するのは憲法に定められた義務なのであって、またほとんどの国民は他の国民が、やむを得ない疾病や傷害などをきっかけとして貧困に苦しんで健康を害してしまうようなことを望んでおらず、憲法の規定通りに、政府が国民の最低限の生活を保障することを望んでいる。それは一番大切な、人々の幸福の役に立つので問題はない。国民の福祉を軽視・無視するような態度・発言は、そもそも憲法違反なので、長年政治家として働いているような政治家はそうした発言は一般にはしない(本当は与党政治家はもっと強欲で、よからぬことをたくらんでいたとしても、憲法に織り込まれている理念や義務に反することを言葉にして国民全般の前で言ってしまわないようには配慮している)。

そもそも政治の究極の目的は、経済的な数値ではなく国民の幸福の総量である、経済的数値はその途中の手段の一部であって本当の目的ではない、とされることも増えている。その意味でも、福祉にお金が使われ、困窮状態から救われ、安心して生活できる人が増えることに異議をとなえるような日本人は、全体として見ればあまり多くはない。他人の不幸を放置して平然としていられるような日本人は、さまざまな境遇の人のことも想いやることができる、という良いところがある日本人であるので、さほど多くはない。

バラマキ財政で本当に問題になってくるのは、そういった貧困に苦しんでいる多数の国民を救う政策ではなくて、一部の業界関係者・企業経営層などに途方もない贅沢をさせるためにバラ撒くお金のほうである。特に問題になってくるのは、与党、というよりもその時にたまたま政権を握っている、与党の中の特定の集団が、自集団が得をするために、自らの票田になったり、自らに政治献金をしてくれると裏約束をしてくれた特定の業界・業界団体・利権団体などに、国民全体から税金として預かったお金を、こともあろうに国民全体の福祉のために用いず、税収をこともあろうに勝手にまるで私的な収入のように見なしてしまって、自分の利得につながるような特定の業界に対してだけ大量にバラ撒くような政策である。

政権中枢に入りこんだ特定の政治家グループは、権力を維持しようとする時に一般の国民が投票する選挙で票を獲得しようと考え、また自分が所属する政党の中で、他のグループとの闘いにも勝とうとしそのためにお金を使って党内で権力闘争に勝とうとする。その結果、選挙で票田を用意してくれ、かつ、裏から自分に献金もしてくれ党内での闘争にも役立つ 業界団体や利権団体にどうしても癒着してしまう傾向がある。

権力者がバラ撒く対象となっている業界の数が増えれば増えるほど、その総額は膨らんでゆくことになる。国民の大多数の支持を得られないような政策を行い、支持率が下がり、政権が危うくなると政治家は目先の権力を維持しようとあがき、眼先の選挙で(一般の国民の選挙もそうだが、党員による党内選挙などでも)手っとり早く票田になってくれそうな一部の業界に対してバラ撒きを行ってしまうことがしばしばである。

また、効率の悪い行政に巨費をつぎこんでおいたまま放置している場合は、その費用をむしろ効率のよい民間に投入した良い場合も多いので、行政の無駄を削ることを先送りしたまま、追加で一部の癒着した業界や「財界人」にばかりをお金を渡してしまうことも「バラマキ」と批判をされる。

また、不況下における法人税減税についても、バラマキ批判がなされるケースがある(中野剛志など[3])。

軍事支出の増加は国内経済の拡大に一切貢献せず、また、大切な国民を兵士にして派遣して結局死なせてしまったり、外国の罪もない一般国民を殺戮してしまったりして、お金を使っているのに不幸ばかりを生み出すので、究極の悪徳なバラマキ政策である。この軍事の領域というのも、(他の業界同様に、あるいは他の業界以上に)利権の温床であるため、権力者にとり入って癒着しやすい。[4]

バラマキが招く悪い影響[編集]

バラマキのために支出の額を膨らませてゆく、ということは、税収の額を十分に考慮せず行われることが一般的で、結局、借入金借金)を増加させる、という結果を招く。国家財政では、借金は基本的には「国債の発行」という形で行われる。

特に、費用対効果が税収増加が見込めない政策に多額の支出を行うことは。バラマキ財政を続けると、 財政赤字が雪だるま式に増えてゆき、毎年の利払い額が増加し、最後は財政が破たんし、デフォルト預金封鎖などを行って、結局国民を苦しめる結果を招く。

バラマキと呼んでは不適切な例[編集]

次のような場合は「バラマキ」と言うのは不適切である。

  • 憲法で保障されている、国民の生命権、生存権を保障するための政策のために、恵まれない人々に広く財政支出を行う場合。これを行わないようでは、憲法違反であり、法的に何ら正統性の無い政府だということになる。
  • 本当に波及効果が見込める、本当の成長分野に、緻密で細やかな配慮を行いつつ、個別的にかつ大胆な支出をおなっている場合で、事後の評価もしっかり行っている場合。ただ予算を組んで、税金を放り込む(横流しする)だけでなく、政策実行後の効果を第三者によって評価し、政策の修正を行う、というPDCAサイクルをしっかりまわしている場合。(例えば、あくまで一例だが、数十年後の将来を見越して、先手を打って、再生可能エネルギー風力発電太陽光発電)の技術の開発や、発電所の設置を行うこと。技術やその製品は数十年後には有望な輸出産業になり、再生エネルギー発電所は国民全員が享受できる安価な電気を生んでくれ、しかも再生可能エネルギーは環境や健康にも良く、比較的安全で、原子力発電所事故のような地域消滅・国家滅亡につながりかねない究極の危険を回避してくれ、国民の生命だけでなく周辺諸国の人々の健康も護ってくれる。そうしたプロジェクトを、民間企業のように、巧みな計画を立て、実施し、かつしっかりと第三者によって中間評価し、また事後評価を行い、その反省点を次の計画にも活かしている場合ならば、決して単なるバラマキではない。)
  • 高校無償化フランスでは公共の保育園・幼稚園から、小学・中学・高校・大学まで、授業料が一切無料である。その結果、全ての国民が安心して子供を何人も産むことができ、その結果として出生率が2.0以上となりヨーロッパで最大で、国民の数が増え、国力がどんどん増してきている。また、こうした制度にすると、ほとんど全ての国民が、その制度のおかげで育てられた、と実感するようになり、地域社会や国のことを大切に想うようになる。どんな親のもとに生まれた子でも、誰もが親の状態を口実に差別されることが減り、政府が国民に保障する責任を負っている国民の法の下の平等も実現され、この世に生れてきたことを素朴に感謝できるような、よい世の中になる。日本も高校だけ無償にするのではなく、むしろもっと充実させ、保育園から大学まで授業料を完全無料にすると、出生率が増え、国民数減少を止め、それどころか国民を増やしてゆくことができ、しかも基本的な幸福感が増してゆく。)
  • 高速道路無料化(もともと「ある段階になったら絶対に高速道路料金は無料にするから、高速道路を建設させてくれ。高速道路は国民のものになるのだから。」とかつての自民政権が国会で約束し、貴重な国民の税金を使って造ってしまったものなので、それを行わないと約束違反で、国民に対して巨大な詐欺行為をはたらいて、ただ土木業者に税金を横流ししてきただけだ、ということになってしまう、という難しい問題がある。最近では、日本各地の地方(田舎)で限界集落が増えるなど、消滅の危機に瀕している村・町がすでに数百もある。地域活性化のためには、(無料とは言わないにしても)、高速道路料金はとてつもなく安くしたほうが、地方まで走ってゆきお金を使ってくれる人々の数が増え、地方が元気になり、結局は、日本全体の崩壊を防ぐことができる。

バラマキと呼ぶ人がいる政策の例[編集]

脚注[編集]

  1. 藤野英人『ビジネスに役立つ「商売の日本史」講義』
  2. a b c d e 藤原彰、荒川章二、林博史『日本現代史: 1945-1985』 大月書店、1986年。pp.153-155
  3. 『日経ヴェリタス』第120号52面、2010年6月27日。
  4. 利権集団を見事に抑え込むことに成功する政治家もいる。だがうまくできない政治家もいる。高橋是清の場合、利権集団化した日本の軍部を抑えるべく軍事支出の削減を試みたのだが、残念ながら、当時の日本はあまりにも非民主的で、日本の軍部の軍部の不満分子が暴走し、暗殺されてしまった。

関連項目[編集]