ニコライ・パブロフ
ナビゲーションに移動
検索に移動
ニコライ・ミハイロヴィッチ・パブロフ(ロシア語:Николай Михайлович Павлов、1889年10月14日 - 1937年11月4日)は、ロシア帝国の軍人[1]。
概要[編集]
トゥーラ県(現在のトゥーラ州)アレクシンスキー地区、ハリン・プストシュの地主一家の子として生まれる。 1903年からトゥーラ体育館で学び、1909年に卒業する。
1911年から第12ヴェリコルツキー歩兵連隊[2]の書記官を務めた後、少尉学校に入学し、1916年には少尉の階級を得たが、東部戦線での戦闘の影響で砲弾ショックを起こす[3]。
ロシア内戦時は赤軍に入隊し、トゥーラ工兵大隊の中隊長を務める。
最期[編集]
内戦終結後は故郷のソフホーズ(1937年まで)の警備員として勤務するが、1937年9月26日、NKVDにより逮捕され、セルプホフ刑務所に拘留される。
同年11月4日に射殺され、1989年5月10日に名誉回復される。
脚注[編集]
- ↑ “1914-1918, Великая война, документы и фотографии Первой мировой войны”. pomnimvseh.histrf.ru. 2022年11月26日確認。
- ↑ “ГАТО ::: Герои Первой мировой войны :::”. tulagosarchive.ru. 2022年11月26日確認。
- ↑ “Павлов Николай Михайлович — Офицеры русской императорской армии”. ria1914.info. 2022年11月26日確認。