スピード違反の論理
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スピード違反の論理(スピードいはんのろんり)とは、「問題点のすり替え」「論点のすり替え」を企図する、考えるまでもなく稚拙な言い訳の手法のひとつ。
概要[編集]
速度超過を見咎められて警察に捕まった運転者が「オレがスピード違反を犯したというならば、先に捕まえなければならないのはもっと速度を出したり危ない行為をしている奴らだ!」という言い訳をしている状況を例示している。
しかし、この言い訳には多数の矛盾点があり、
- スピード違反をしている者は多数いるだろうが、逮捕者自身もスピード違反を犯した処罰対象者であるという事実は全く動かない
- まず他のスピード違反者を捕まえるべきである、自分より先に他人が逮捕されるべきだ、という主張に何の根拠もなく、最初に捕まえても本人以外誰も困らない
- もっと速度を出したり危ない行為をしている違反者を「どういうやり方でいつ捕まえるか」を検討する権限を持つのは司法であり、本人のスピード違反を見逃す根拠には全く繋がらない
- 逆に、目の前にいるひとりのスピード違反者(本人)も含めて一切見逃さず片っ端から徹底的な厳罰を与えた方が全体数が減るのが早いのは間違いなく、公共の利益に繋がる
などで、こういった矛盾点を指して「考慮するまでもない、誰でも少し考えれば矛盾点に気づく、愚劣で頭の悪い言い訳の仕方であること」を、言い訳を言い出した本人に理解させるために引き合いに出される。
トリビア[編集]
ウィキペディア日本語版ではかつて、この単語が公式方針となっておらず、古参利用者間で論理のすり替えを指す用語として主に古参利用者が慣例的に例示するが、具体的なリンクがない・説明が皆無で「単語を読んだ瞬間に論理のすり替えだと分かるよね?」と言わんばかりの状態だった。
この単語が「方針に無い意味不明な論理」だとする主張をめぐり、2011年1月に紛糾が発生。それを機に、利用者:Ohgiによってjawp:スピード違反の論理(jawp:Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないへのリダイレクトページ)が作成された。