ゴットグラウビグ
ゴットグラウビグ(ドイツ語:Gottgläubig、「神を信じるもの」の意)とは、ナチ党政権下のドイツ国で、国家社会主義者を中心に広まった宗教観。既存のキリスト教の各宗派には属さないものの、無神論者ではなく、なんらかの神の存在を信じるものとされた。なお、Gottgläubig(ゴットグラウビグ)はこの宗教観を持つ人々をさす言葉であり、この信仰そのものはGottgläubigkeit(ゴットグラウビケイト、「神への信仰」の意)と呼ばれた。
概要[編集]
ナチ党は当初積極的キリスト教なる反ユダヤ・反共的な宗教観を主張し、その主張と背反するカトリックを否定していた。カトリック教会を襲撃することさえあった。
政権掌握後の1933年、ローマ教皇ピウス11世とライヒスコンコルダートなる政教協約を結び、ドイツ国内でのカトリック信仰を認めた。ただし、同時に「聖職者の政治参加の禁止」を明文化したため、カトリック協会は政治的影響力を失い、聖職者らとナチ党の関係は悪化した。また、プロテスタント教会は、党の指揮下にあるドイツ福音教会に一本化させられた。これらの措置を通じて、ナチ党は教会への統制を強めようとした。
しかし、ナチ党に従わない教会・宗派が少なくなかった。1933年の夏以降、一部のナチ党員はそうした教会から自発的に去り、他のキリスト教徒の党員に対しても信仰を変えるよう圧力をかけた。
既存の教会・宗派に与さないものの、無神論者ではなく、なんらかの信仰を持っている人々。1936年1月26日、ヴィルヘルム・フリック内務大臣は、こうした人々を示す言葉として「ゴットグラウビグ」を指定した。同年10月26日、ドイツ内務省は宗教としてのゴットグラウビゲイトを公認した。
信仰内容[編集]
ゴットグラウビグは、ドイツや、その支配者のヒトラーを創造した創造主を信仰することが前提とされた。しかし、それを何に仮託するかは個人の自由であった。理神論、汎神論、現代ゲルマン異教、仏教、ヒンズー教などさまざまな宗教の信仰者がゴットグラウビグを名乗ることができた。中には、古代の神話の神々、自然、運命などを創造主として信仰する者もいた。
信仰者[編集]
1939年の国勢調査では、ドイツ国民の3.5%が、自らの宗教としてゴットグラウビゲイトを挙げた。
無神論者は親衛隊に入ることができなかったため、多くの親衛隊員がこの信仰を持っていた。1933年以降に親衛隊に入ったもののうち、最終的に68%がゴットグラウビグとなった。
ナチ党の支持者といえる親衛隊員以外にも、「ナチ党を支持しないが、宗教的な理由から迫害されないため」という消極的な理由からゴットグラウビグを名乗る人々が存在した。ベルリン市は、かねてよりナチ党への支持が低かったものの、市民の10%以上がゴットグラウビグであったとされる。
戦後[編集]
1946年、フランス占領下のドイツで行われた国勢調査では、自らの宗教としてゴットグラウビゲイトを答えることができた。
しかしこれを最後に、公文書からゴットグラウビグの名は消えた。1950年、非ナチ化に伴って、戦前戦中にこの信仰を持っていた教師は復職できなくなった。