クリスマス・ツリー爆弾事件

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クリスマス・ツリー爆弾事件
日付1971年12月24日
時間午後7時10分頃
場所東京都新宿区
死者0人
負傷者重軽傷7人
犯人30数人

クリスマス・ツリー爆弾事件(クリスマス・ツリーばくだんじけん)は、1971年12月24日東京都新宿区で発生した爆弾事件。警察庁は「新宿クリスマスツリー爆弾事件」[1]「クリスマス・ツリー爆弾事件」[2]「警視庁追分派出所クリスマスツリー爆弾事件」[3]、その他では「新宿ツリー爆弾事件」[4]「ツリー爆弾事件」[5]「警視庁クリスマスツリー爆弾事件」[6]などと呼ばれている。

概要[編集]

1971年12月24日午後7時10分頃、新宿三丁目の警視庁四谷警察署追分派出所に、同派出所の裏に不審な紙袋が置かれているという訴えがあった。派出所員が紙袋の中にリード線の付いたクリスマス・ツリーが入っているのを確認した直後、ツリーに仕掛けられていた時限装置付き手製爆弾が爆発。派出所員が左足切断、左手四指切断、右目失明の重傷、通行人ら6人が重軽傷を負った。

その後、黒ヘル・グループの犯行だと判明し、主犯格の鎌田俊彦ら30数人が逮捕された[6]。鎌田は他数人と都内の警察署や交番、仙台市の米軍通信所など6か所でも手製爆弾を爆発させる事件を起こしており、1983年10月に東京地裁で無期懲役の判決を受けた[7]。1986年12月に東京高裁は一審判決を支持して控訴を棄却[5]、1991年2月に最高裁は一審、二審判決を支持して上告を棄却し、鎌田の無期懲役が確定した[8]

事件直前の12月18日に発生した土田邸小包爆弾事件をはじめ、当時、新左翼による爆弾闘争が頻発しており[4]、初めて民間人に負傷者が出た事件となった[7]

脚注[編集]

  1. 昭和48年 警察白書
  2. 昭和56年 警察白書資料編(昭和40年から49年)(警察庁)
  3. 昭和63年 警察白書
  4. a b 松村良一「新宿ツリー爆弾事件」戦後革命運動事典編集委員会編『戦後革命運動事典』新泉社、1985年、137頁
  5. a b 「主犯鎌田の控訴を棄却 ツリー爆弾事件で東京高裁」『朝日新聞』1986年12月16日付朝刊22面(2社)
  6. a b 警備研究会『わかりやすい極左・右翼・日本共産党用語集〔四訂〕』立花書房、2012年、142頁
  7. a b 高木正幸『新左翼三十年史』土曜美術社、1988年、154-155頁
  8. 「鎌田被告の無期が確定 東京・四谷のツリー爆弾、上告棄却」『朝日新聞』1991年2月3日付朝刊30面(2社)