クラウス・ノミ

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クラウス・ノミ(Klaus Nomi)は1981年から1983年までアメリカ合衆国ニューヨークで活動したオペラ歌手、ロックシンガー、パフォーマー、パティシエである。通称ノミ様。

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経歴[編集]

1944年1月24日、ドイツのバイエルンに生まれる。マリア・カラスの影響でオペラ歌手を志し、ベルリンの音楽学校を卒業するとニューヨークに渡り歌手活動を始めたが、なかなか芽が出ずホテルのパティシエを副業としていた。しかしいつの間にか歌手というより地元でライムタルト作りの名手として知られるようになってしまい、彼は純粋なオペラ歌手からの転向を決意。1979年ごろからニューヨークでライヴ活動を行い、その後おホモだちパートナーのジョーイ・アリアスと共にかのデヴィッド・ボウイのバックコーラス、ダンサーを務め「あのヘンな奴はなんだ」ということで一躍脚光を浴びる。また、当時日本のオタク学生の間で高い影響力を持っていたラジオ番組「スネークマンショー」で取り上げられるなど、日本でもある程度の知名度があった。

独立したノミは1981年ファーストアルバム「Klaus Nomi(邦題:オペラ・ロック)」を発表し注目を集め、1982年にはセカンドアルバム「Simple Man」を発表したが、そのころには当時「ゲイの癌」として恐れられていたHIVに感染してしまう。著名人として初のAIDS感染ともあり、周囲の批判に耐えつつも闘病を続けたが1983年8月6日、ジョーイに看取られつつ没した。享年39歳。

音楽性[編集]

ノミは80年代ニューウェーヴの流れに乗ってこれまでロック側からのアプローチしかなかった「オペラ・ロック」というジャンルにオペラ側からのアプローチを行った。宇宙人じみた風貌と、オペラの発声でロックを歌う彼の姿は非常に注目を集めたが、活動期間二年にして死去してしまったため一過性の「キワモノ」として見られることも多い。死後彼の存在は忘れ去れてしまいそうになるが、2005年ジョーイやボウイの証言、彼の映像を集めた映画「ノミ・ソング」が公開され再評価の動きが広がった。見た目だけではなく音楽性もただのポップソングに堕さず「ドイツオペラにアメリカンロックを足して二で割らなかった」と評されるように独特とあって、現在もキワモノの中のキワモノとして人気を静かに集めている。

ディスコグラフィー[編集]

アルバム[編集]

  • Klaus Nomi, 1981 (邦題:オペラ・ロック) ファーストアルバム。
  • Simple Man, 1982 セカンドかつラストアルバム。
  • Encore! (Best), 1983 ベストアルバム。
  • In Concert (Live), 1986 ライヴアルバム。
  • The Collection (Best), 1991 ベストアルバム
  • Essential (Best), 1995 ベストアルバム。
  • Za Bakdaz, 2007 ベストアルバム。

公式サイト[編集]

公式サイトはないが映画のサイトは存在している。(なんと日本語版はリンク切れ)