エーリヒ・レーン
ナビゲーションに移動
検索に移動
エーリヒ・レーン(Erich Röhn, 1910年4月5日 - 1985年8月1日[1])は、ドイツ出身のヴァイオリン奏者。[2]
ブランデンブルク州グロス・ロイテンの出身。グーベンでヨーゼフ・ヨアヒム門下のエルゼ・メンデル=オーベリュバーにヴァイオリンの手ほどきを受け、グーベンの民族音楽アンサンブルであるクルト・クッチャン・カペレのヴァイオリン奏者として現場の経験を積んだ。ベルリン市立音楽院でリア・シュミッツ・ゴーアとグスタフ・ハーヴェマンにヴァイオリンを学んだ後、オットー・クレンペラーの率いるクロルオーパーのオーケストラにヴァイオリン奏者として参加。1931年にクロルオーパーが閉鎖された後はベルリン放送局のオーケストラのコンサートマスターを務め、1934年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに転出した。1943年からベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の団員によるベルリン・フィルハーモニー室内楽協会を統括。1945年にはハンス・シュミット=イッセルシュテットが立ち上げたハンブルクの北西ドイツ放送交響楽団にコンサートマスターに転じ、1974年に勇退。一方で、1945年からピアノ奏者のコンラート・ハンゼンやチェロ奏者のアルトゥール・トレスターとピアノ三重奏団を結成し[3]、1949年からヴィオラ奏者のラインハルト・ヴォルフを加えて「ハンブルク室内楽協会」[4]と称したり、ハンブルク弦楽四重奏団に参加したり[5]と、室内楽の分野でも活躍した。
ハンブルクにて死去。