エリカ・モリーニ
エリカ・モリーニ(Erika Morini, 1904年[1][2]1月5日 - 1995年11月1日[3])は、オーストリア出身のヴァイオリン奏者。[4][5][6][7]
ウィーン出身[8]。父オイザー[9]はヤコプ・グリュンとヨーゼフ・ヨアヒムに師事したことのあるヴァイオリン教師であり、自ら音楽学校を経営していた。幼少期より、父が学生とレッスンをしている時に学生の音の誤りを正したり、バレエを習った時に耳の良さとリズム感の良さの片鱗を見せたりして音楽の才能を認められ、7歳まで父にヴァイオリンの手解きを受けた。5歳の時には皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の誕生パーティーで皇帝の御前演奏をして皇帝を感激させ、褒美として所望した人形を賜った。8歳の時にウィーン音楽院に入学し、オタカール・シェフチークのクラスでヴァイオリンを学び、父の師であったグリュンのレッスンも受けた。グリュンの死後は、弟子のローザ・ホーホマン=ローゼンフェルトがモリーニのレッスンを引き継いだ。また、アルマ・ロゼやアドルフ・ブッシュにも師事している。1916年には、ウィーンに於いてフランツ・シャルクの指揮でヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番を演奏してオーケストラとの初共演を果たした。1918年にはアルトゥル・ニキシュの指揮するライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団やカミロ・ヒルデブラントの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会[10]に出演し、ヨーロッパでヴァイオリンの神童としての名声を確立した。1921年にはアルトゥール・ボダンツキーの指揮するカーネギー・ホールでの演奏会に出演してアメリカ・デビューを果たした。このアメリカ・デビューの成功により、モード・パウエルの所有していたグァダニーニ製のヴァイオリンを贈られている。1932年にはイタリア人マネージャーのフェリーチェ・シラクサーノと結婚。第二次世界大戦の影響により、1937年にブダペストに演奏旅行に出た後、1938年にアメリカに亡命している。1965年よりマネス音楽大学で教鞭を執る[11]ようになってから演奏活動の回数を減らすようになり、1976年にハンター大学でコンサートを開いた後、第一線を退いた。
ニューヨークはマンハッタンの病院にて死去。
脚注[編集]
- ↑ 1908年生まれとする資料もある。(Flesch, Carl 『Memoirs』 Hans Keller訳、Bois de Boulogne、1973年、338頁。ISBN 9780900998140。)
- ↑ 1905年生まれとする記述もある。(アーカイブ 2022年2月5日 - ウェイバックマシン)
- ↑ “Remembering Erika Morini and Her Stolen 1727 "Davidoff" Stradivarius”. The Violin Channel. (2020年11月1日). オリジナルの2022年4月30日時点によるアーカイブ。 2022年4月30日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2022年2月4日 - ウェイバックマシン
- ↑ “Erica Morini, 91, Subtle Violinist Who Explored Concerto Range”. New York Times. (1995年11月3日). オリジナルの2013年1月31日時点によるアーカイブ。 2013年1月31日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2022年2月4日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2021年1月23日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2022年4月19日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2022年4月30日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2022年4月30日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2022年4月19日 - ウェイバックマシン