アンドレアス・ブラウ

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

アンドレアス・ブラウ(Andreas Blau, 1949年 2月6日[1] - )は、ドイツフルート奏者。 [2]

ベルリン近郊シュマルゲンドルフ出身[3]。13歳の頃からゲルトルート・ツェラーにフルートを学び、16歳でドイツ青少年音楽コンクールで優勝している。その後、ベルリン芸術学校カールハインツ・ツェラーの薫陶を受けつつ、アメリカはミシガン州のインターロッケン・ナショナル・ミュージック・キャンプや、ザルツブルクのモーツァルテウム夏季講習会に参加して腕を磨いた。1969年からヘルベルト・フォン・カラヤンに推薦されてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席フルート奏者に抜擢された。1973年からベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のオーケストラ・アカデミーでも講師の指導に当たった。1983年から1985年まで母校でも教鞭を執っている[4]。1996年に「14人のベルリンのフルート奏者たち」が結成した時には発起人として参加[5]。2014年夏にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を定年退団したが、後任の首席奏者であるマチュー・デュフォーの着任まで中継ぎを務めた[6]

脚注[編集]

  1. 『Die Musik in Geschichte und Gegenwart : allgemeine Enzyklopädie der Musik』3、Bärenreiter、1999年、65頁。ISBN 9783761811122
  2. Eastman Event Calender”. 2021年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月31日確認。
  3. アンドレアス ブラウとは - コトバンク”. 2015年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月21日確認。
  4. アーカイブ 2020年3月5日 - ウェイバックマシン
  5. アーカイブ 2021年4月16日 - ウェイバックマシン
  6. 「ベルリン・フィル・ラウンジ」第108号:ブラウ&パユ対談、カラヤンを語る(前半)”. 2021年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月31日確認。