YS-11
YS-11(わいえすいちいち)とは、日本の民間航空機である。
- Y - 輸送機
- S - 設計
- 1 - 機体バージョン
- 1 - エンジンのバージョン
からこの名がついた。
概要[編集]
設計者は
- 堀越二郎 - 零戦の設計者。
- 木村秀政 - 航研機の設計者。日本大学工学部教授。
- 菊原静男 - 紫電改の設計者。
- 土井武夫 - 戦闘機・輸送機・練習機・爆撃機などの設計者。
- 太田稔 -『97式戦闘機』や『隼』の設計者。
の5人である。いずれも「旅客機」の設計には関わった経験がなかったので、わりあいに軍用機寄りの設計ではある。
なにせ軍用機ばっかり作っていた連中が設計を担当していたので安全率を大きめに取りすぎて「頑丈にしすぎた」ため、疲労試験機のほうが金属疲労を起こしてぶっ壊れたと講義で聞いた。そのため通常の運用だと二百年を越える耐用年数があるという。宇宙戦艦ヤマトが 2199 年を舞台にしているために、「一緒に空飛んでてもおかしくない」と、日本大学理工学部航空宇宙工学科の学生の間では話題になっていた。このあたりの話は佐貫亦男によった。佐貫は堀越や木村とも交流があった。
評価[編集]
- パワー不足
- WikiPediaでは『元テストパイロットの沼口正彦は退役後のインタビューにおいて、「YS-11はパワー不足が目立った」とも語っている。YSの出力不足は、沼口に限らず多くのパイロットから指摘されている弱点である。全日空の機長としてYS-11に乗務したことがある内田幹樹はその著書『機長からアナウンス』で「最初はあまりのパワーのなさに驚いた」とある。
- 機内環境の劣悪さ
- 内田幹樹は同書で「そのうえコクピットの居住環境も、寒すぎたり暑すぎたりとほんとうに最悪だった」、「飛行機マニアにいまでも人気が高いようだが、これはまったく理解できない」、「クラウンに軽自動車のエンジンを乗せたような飛行機」、「パイロット仲間でもYS-11に愛着のある人をほとんど知らない」と酷評している。
- タイヤの劣化が早い
- また同書では「重量のためタイヤに負担がかかり頻繁に交換が必要」だという。
当時は「ジャンプ・ジェット」とかいった概念がなかったため、「航空騒音」とかいった概念もなかった。したがって、軍用機ほどの離陸性能は要求されず、「短い滑走路でも安全に離着陸できる」ことを重視した結果としてあの形になった。
「飛行機マニアにいまでも人気が高いようだが、これはまったく理解できない」というのはよくわかる。確かに客室は狭いわエンジン音はでかいわ振動はひどいわという軍用機に毛が生えたようなシロモノであった。
なお、パワー不足に関してはエンジンを換装して YS-12 にすればよかっただけではあるのだが、機体にマッチしたターボプロップが存在しなかったか調達できなかったのが理由でありそうだ。
詳細[編集]
「低翼単葉・引込脚・全金属製・セミモノコック構造」というシンプルな設計であり、しかも頑丈であったため部品供給や整備が万全であれば、いわゆる「低開発国」「発展途上国」でも運用しやすいという利点があった。ただし旅客機であるため客室窓などが必要になり、安全性との兼ねあいで当時の設計者(とくに強度計算者)は悩んだという。
離陸上昇時の力強い高揚感はは、「あれがいいんだよ! あれが!!」という熱狂的なファンもおり、懐かしむ人も多い。ただし、その影響力は想像を超えて海外に影響を与え、日本の航空業界は外圧を受けることになった。
その観点からいうと、MRJ の開発が中止された現在、ホンダジェットはYS-11の後継機と言っても本田宗一郎さんは怒るまいと思う。
脚注[編集]
関連項目[編集]
その他[編集]
「プロジェクトX 挑戦者たち ― 翼はよみがえった 前半・後半」で取りあげられた。