多田野数人

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多田野数人(ただのかずひと、1980年4月25日 -)は日本ハムファイターズに所属した元ピッチャー。また、徳島インディゴソックス石川ミリオンスターズではコーチも務めた。

概要[編集]

高校時代[編集]

1998年には母校の八千代松陰高等学校甲子園に導く活躍[注 1]をしたものの初戦でPL学園高等学校に敗北し、初戦敗退となった。

大学時代[編集]

高校卒業後、立教大学に入学し、通算56試合に登板し20勝16敗、防御率1.51、334奪三振の成績を残した。また、世界大会にも出場し3位を獲得した。

スキャンダル[編集]

週刊誌の報道でゲイビデオに大学時代にサッカー部の役で出演[注 2]していたことが判明。また、同性の後輩にセクハラを行っていたことも災いし目玉だとされていた年のドラフト会議では「故障」を理由に指名されなかった。また、多田野本人は

大学時代に(そのような)ビデオに出たことがあり、今はとても後悔しています。当時は若くお金が必要でした。たった一度の過ちであり二度と同じ間違いはしません。僕はゲイではありません。これだけははっきりと事実を伝えたかった。 — 当時の記者会見より。

と後の記者会見で釈明している。

注釈[編集]

  1. 多田野は防御率0点台の活躍をし、チーム打率が2割を切っているチーム(当年の甲子園出場チームの中では下から2番目)を千葉県大会優勝に導いた。
  2. なお、当時野球部の後輩とも出演していることを恩師にバラされるというなかなかに可愛そうなことをされる。恩師なら生徒のためを思ってシラを切ってほしかった。