鶴羽根神社
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鶴羽根神社(つるはねじんじゃ)は、広島県広島市東区二葉の里の神社。
沿革[編集]
中世[編集]
建久年間(1190年-1191年)に、源三位頼政(安芸國加茂郡西條郷領主)の室菖蒲ノ前が芸州知行した時の遺言によって、鎌倉時代初頭の元久年間(1204年-1206年)に社殿を建立し、祭神を観請したのが起源と伝わる。その時修理料として椎木山(現在の二葉山)を寄進されたので、当時は椎木八幡宮と称していた。
近世[編集]
その後変遷を経て、天保4年(1834年)2月隣地の明星院鎮國堂より出火して、社殿等をことごとく焼失した。2か月後の4月には仮社殿を建立したが、藩主より同社域に饒津神社造営を仰せ出され、天保6年4月現在地へ所替えとなり(それまでは、現在の饒津神社一の鳥居と二の鳥居の間の西側へ御鎮座していた。)浅野家からの造営資金の寄付と氏子中の勧請により、安政3年(1856年)に再建された。
近現代[編集]
明治元年(1868年)に神仏分離もとづき、12代藩主浅野長勲により、神社背裏の山形が、鶴の羽根を広げた姿に似ている事から、社名を鶴羽根八幡宮と改められ、さらに明治5年(1872年)に鶴羽根神社へと改称し、広島東部総氏神へ列せられ、明治40年(1907年)に神饌弊帛料供進社に指定された。昭和20年(1945年)の原爆投下の大惨事により、社殿が倒壊したが石鳥居、太鼓橋、手水舎、唐獅子、石燈籠は倒壊や焼失を免れた。