雲部車塚古墳

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雲部車塚古墳(くもべくるまづかこふん)とは、兵庫県 丹波篠山市東本荘にある前方後円墳である。

雲部車塚古墳(右のこんもりしたところ)と北側陪塚(左、田んぼ奥の小さい膨らみのようなもの)

概要[編集]

墳丘の長さは140メートル(元は推定158メートル)で濠に囲まれている。7つの陪塚があったと言われているが、現在は、主墳の南側(方墳)と北側(円墳)と西側の飯塚古墳(円墳)の3つが残っている。南北の陪塚が主墳である前方後円墳の左右両側にあるため、車とその両輪と見立て車塚の名前となった。明治29年に試掘や調査がされたが、明治33年に主墳と南北の陪塚が陵墓参考地に治定されたため、その後の調査がされず、現在も立ち入りが禁止されている[注 1]兵庫県立考古博物館で、調査の際の記録をもとに復元した石棺やその周りの朱色に塗られた壁が特徴的な石槨、石槨内に置かれていた武器(鎧、兜、矛、刀、剣など)も復元されて展示されている[注 2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 宮内庁によって陵墓や陵墓参考地に治定されていて学術的な調査や立ち入りが禁止されている古墳が多数あるが、古代の人類の歴史を知るための貴重な資料、人類共通の資産でもあり、調査や文化財として活用されることが望まれる。
  2. 地球の謎解き情報では、これらの武器は物部氏のために形になったと知らされている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]