鈴木梅太郎
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鈴木梅太郎(すずきうめたろう、1874-1943)は農芸化学者。東京帝国大学名誉教授。ビタミンB1の抽出に世界で初めて成功した人物である。
現在の静岡県牧之原市出身。現在の協和発酵キリンの創設者でもある。
人物[編集]
日本では江戸時代から脚気という病気が蔓延していた。脚気の原因はビタミンB1の不足が原因であるが、明治になってからも、細菌が原因と考えられていた。
海軍は比較的早くから、脚気は白米中心の偏食が原因と考えており、麦なども兵士に食べさせていたため、脚気は蔓延していなかったが、陸軍では白米と汁と漬物だけの食事をしていたために、多数の脚気患者を抱えていた。
鈴木梅太郎はニワトリを使った実験から玄米から精米によって失われる成分の欠乏が原因と考えた。
1910年に米糠からオリザニン(ビタミンB1)の抽出に成功する。しかし、これに関するドイツ語の論文に難があり、注目されなかった。遅れてポーランド系ユダヤ人のカシミール・フンクが同成分の抽出に成功し、ノーベル化学賞はフンクのものになってしまう。
理研の合成酒[編集]
日本酒のうまみ成分がコハク酸だということに気づいた鈴木は「水にアルコールと糖と琥珀酸を足したら『日本酒っぽいもの』ができるんじゃないか?」と考え、これは「利休」というブランドとして理化学研究所から発売された。「あれは不味かった」「雑巾バケツの水のような味がした」[1]と懐かしむ人も多く、昭和の六十年ころまでは市販されていた …… と思ったらアサヒビールから現在でも「利休」は合成酒として発売されているそうである。
脚注[編集]
- ↑ おまいは雑巾バケツの水を飲んだことがあるのか?
外部サイト[編集]
- 『理研酒 ─ 合成酒の発明と事業化の成功』(https://www.riken.jp/pr/historia/riken_shu/index.html)