財田川事件

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財田川事件(さいたがわじけん)は、1950年2月28日に香川県三豊郡財田村(現在の三豊市財田町)で起きた強盗殺人事件。死刑判決を受けた冤罪事件としても知られている。

概要[編集]

1950年2月28日、香川県三豊郡財田村で、闇米ブローカーの男性が殺害されて現金1万3000円を奪われる事件が発生。被害者は刃物で全身30箇所を刺されており、自宅の寝室で倒れているところを訪ねてきた知人により発見された。

捜査経過[編集]

1950年4月1日に隣町の神田村で発生した強盗致傷事件で別件逮捕された谷口繁義は、1950年6月15日に懲役3年6月の有罪判決を受けた後、数度の別件逮捕により代用監獄で自白を強要されて7月26日に自白させられたとしている[1]。8月23日に起訴された。また、素行不良として谷口と共に当時19歳の少年も殺人容疑で逮捕されているが、アリバイが認められて釈放された。

裁判経過[編集]

1952年2月20日、高松地方裁判所丸亀支部は死刑判決を言い渡した。判決では強要された自白の信用性を認めた。また唯一の物証とされた古畑種基による鑑定で谷口が犯行時に着用したとするズボンの血痕から被害者と同じO型の血液型が検出されたのも決め手とした[2]。なお後に古畑種基本人が鑑定したわけではなく、古畑種基の鑑定した事件で多数の冤罪事件が発生していたことが判明している。

1956年6月8日に高松高等裁判所も控訴を棄却して死刑判決、1957年1月22日に最高裁判所も上告を棄却して死刑判決が確定した。

再審[編集]

谷口は死刑判決確定後に再審請求をするも1年後には請求棄却。

第二次再審請求を行うも1972年9月に高松地裁丸亀支部が再審請求を棄却。1974年12月に高松高裁が即時抗告を棄却した。この決定に対して1976年10月12日、最高裁は自白の信用性などに審理が尽くされていないとして高松地裁に審理を差し戻した。この決定は財田川決定と呼ばれている。

1979年6月7日に高松地裁は再審開始を決定。判決では自白の信用性について秘密の暴露もなく信用性がないと否定。検察は抗告するも高松高裁は1981年3月14日にこれを棄却。検察は特別抗告を断念したことにより再審開始が決定した。

1984年3月12日、高松地裁は再審無罪を言い渡した。検察側は控訴を断念して無罪が確定した。

関連項目[編集]

脚注[編集]