藤井玄瑞
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藤井 玄瑞(ふじい げんずい、 - 1920年(大正9年)12月)は、日本の医者。六郷本道町(現在の秋田県美郷町本道町)の医者[1]。
略歴[編集]
- 本道町の角にあり、「ゲンジ」さんと親しまれた医者[2]。新八郎、達次と医者が3代続いた家系である。
家族[編集]
- 藤井帰一郎 - 明治16年12月、長女タケに内小友村宮林新田(現在の大仙市内小友)の小松清兵衛の次男である帰一郎(きいちろう)を婿にした[2]。明治20年、上町に分家。
- 藤井新八郎 - 玄瑞の長男[3]で、タケの弟。秋田中、一高、東大卒後に各病院長を歴任した。後に地元へ戻り、六郷町で開業し、六郷町長を勤めたこともある[4]。
- 小西正太郎とは縁戚にあたるという(達次が書いている)[4]。
- 藤井達次 - 玄瑞の孫、新八郎の子。北大農科卒後、東京医専に進み医師となる。昭和4年に秋田女子師範で生物学を講じた。昭和38年以降は、男鹿保健所長をつとめた[4]。