芹沢光治良

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芹沢光治良(せりざわ こうじろう、1896年5月4日-1993年3月23日)は、作家。

人物[編集]

静岡県(現沼津市)出身。東京帝国大学経済学部卒。フランス留学後、1930年「ブルジョワ」で「改造」の懸賞小説に当選し文壇に出る。中央大学講師として経済学を教えていたが辞職し作家に専念する。1942年『巴里に死す』を連載し、のちこれが森有正によって仏訳されフランスで話題になったとされる。戦後は『人間の運命』という大河小説を書き、マニア的なファンが多い。1965年、同作で芸術選奨文部大臣賞受賞。1965年、川端康成のあとを受けて日本ペンクラブ会長を務めた。69年、日本藝術院賞受賞、70年、日本藝術院会員となる。

ノーベル賞候補だったという風説があったが、当時の資料が公開されて事実ではないと分かった。