立見 尚文(たつみ なおふみ/なおぶみ、弘化2年7月19日(1845年8月21日) - 明治40年(1907年)3月6日)は桑名藩士、日本の裁判官・陸軍軍人。陸軍大将、男爵。通称は鑑三郎。号は快堂。変名に倉田 巴。父は桑名藩士江戸勤番・町田伝太夫。
通称の鑑三郎で知られている人物である。幕末から明治時代までの軍功の凄さから「東洋一の用兵家」とまで評されている。
伊勢桑名藩士・町田伝太夫の3男として江戸で生まれる。