移旋
移旋(いせん)とは、ある旋律を別な旋法に置き換えることを言う[1]。クラシック音楽でもポピュラー音楽でも使われている。例えば長調の旋律を短調に、または逆に、短調の旋律を長調に変換・変えることは移旋の一種ではある。しかしそれは「移旋」の豊穣さのごく一部でしかない。西洋芸術音楽(クラシック音楽)のある一時期においては、音楽を「長音階」「短音階」の二つに簡略化してしまった。「移旋」を単に長調と短調を取り替えるだけなのだと思っている人間は、音楽という無限の広がりを持つ世界を「18~19世紀の西洋」という極めて限られた視点でしか見ない帝国主義者なのである。時空の視野を広げれば、西洋にも各種の「教会旋法」が存在するだけでなく、世界の各地域、各時代には様々な旋法が存在する。そしてポピュラー音楽では教会旋法は「モード技法」として再生を果たした。「移旋」の意味を単に長調の旋律を短調に、短調の旋律を長調にする事だと思っている者は、己の不明を恥じなければならない。
例えば、「ド・レ・ミ・ファ・ソ」というイオニア旋法、現代の一般的な名称で言えば長音階、メジャースケールのありふれた旋律がある。これをリディア旋法に移旋すれば「ド・レ・ミ・ファ#・ソ」となる。ここに主音ドに対して「悪魔の音程」と呼ばれる増4度上のファ#が加わるが、これは同時に主音ドに対する第11倍音という高次倍音でもある。また11は素数である。つまり「ド・レ・ミ・ファ#・ソ」を聴くとき、人は常識的な現世を超えた、悪魔的とも感じられる遥かな高次世界を一瞬垣間見るのである。
使用例[編集]
移旋が使われている曲は、ベートーヴェンの月光第1楽章(嬰ハ短調)の第1テーマの部分、ヴィヴァルディの四季より「春」第1楽章(ホ長調)、ヴィヴァルディの四季より「秋」第1楽章(ヘ長調)、モーツァルトのロンドK.485(ニ長調)、モーツァルトのピアノソナタ第7番KV.309第1楽章(ハ長調)、バッハの『主よ人の望みの喜びよ(イエスは変わらぬ我が喜び)』 BMW147(ト長調)、マイヤベーヤの戴冠式行進曲「預言者」、短調のソナタ形式の曲など、探せば探すほど幾らでも出てくる。