神戸テレクラ放火殺人事件
神戸テレクラ放火殺人事件(こうべテレクラほうかさつじんじけん)は、2000年3月に兵庫県神戸市のテレホンクラブで発生した放火殺人事件である。
概要[編集]
2000年3月2日の早朝、神戸市中央区の新宿ソフト系列のテレホンクラブ・リンリンハウス神戸店内及び元町店に立て続けに男性A、Bが侵入して火炎瓶を投げつける事件が発生。神戸店では従業員が火を消し止めたことで重傷者1人に止まったものの、元町店では激しく炎上して、3人が死亡して3人の重軽傷者を出した。結果的に、一酸化炭素中毒などで4人が死亡、4人が重軽傷を負う被害を出すことになった。
経営者Nは、かつて放火されたビルに同様の店を出していたが、ビル側とのトラブルにより撤退。しかし、撤退後にテレホンクラブが繁盛したことで、私怨をもつ。そして、Nは広島の麻薬(覚せい剤)密売グループ会長のSに1000万円の謝礼金によって妨害工作を依頼。Bは実行犯であるA、B、Hに対して、放火を指示して犯行が行われることになった。
襲撃グループの運転手役とみられて、現住建造物等放火などの疑いで指名手配を受けていたHは8年間逃亡した末に、2008年7月28日未明に愛媛県新居浜市内にある温泉施設駐車場の車の中にいたところを逮捕された。
元町店の従業員が投げ返した火炎瓶によって大火傷を負ったことでBは広島県の病院に入院しており、そのことを手掛かりに実行犯A、Bは逮捕された。
裁判経過[編集]
男性N[編集]
弁護側は、Nが犯行を指示したという主張に反論。「証拠は共犯者の供述しかないが、信用性を欠く」として、無罪を主張した。
2007年11月28日、神戸地裁(岡田信裁判長)は、無期懲役(求刑死刑)を言い渡した。判決では、共犯者の供述の信用性を認定。商売敵に対する私怨を晴らすために実行役に犯行を依頼した首謀者の1人で責任は重大としながらも、「積極的に被害者の死亡を容認していたとは認められず、殺意の程度が高いとはいえない」として、未必の殺意は認定したものの、火炎瓶投入を発案していないなど未必の殺意の程度は高くなく、積極的殺意は否定した。この判決に対して、弁護側・検察側の双方が控訴した。
控訴審では、検察側は確定的殺意に近いとして死刑を求刑。弁護側は、共犯者の証言を裏付けるような証拠はないとして無罪を主張した。2009年3月3日、大阪高裁(的場純男裁判長)は、共謀板という共犯者の証言の信用性はあるとして、一審判決と同様に無期懲役判決を言い渡した。この判決に対して弁護側は上告した。
最高裁第1小法廷(横田尤孝裁判長)は、2010年8月25日決定付で、上告を棄却。Nの無期懲役が確定した。
男性S[編集]
弁護側は、共犯者の証言は信用できないとして無罪を主張。検察側は、Sが実行役の指示役だとする共犯者の証言は信用できると主張した。2008年12月8日、神戸地裁は、指揮役Sに無期懲役判決(求刑死刑)を言い渡した。2004年に覚せい剤グループの部下らに指示して広島県警広島東署を銃撃させたとして銃刀法違反罪に問われて併合審理された件については、「共謀に合理的な疑いが残る」として無罪とした。この判決に対して、弁護側、検察側双方が控訴した。
控訴審では検察側は量刑不当、弁護側は共謀はなかったとして無罪を主張した。2011年5月24日、大阪高裁(的場純男裁判長)は、一審と同じ無期懲役判決を言い渡した。一審判決のテレクラの放火殺人の有罪判決を概ね認定。銃刀法違反罪について無罪とした部分については破棄して有罪とした。この判決に対して、弁護側は上告。
最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は、2013年7月8日付で上告を棄却した[1]。男性Sの無期懲役判決が確定した。この判決により、神戸テレクラ放火殺人事件に関わった被告の裁判は、すべて終了した。
男性A、B[編集]
火傷を負わなかった元暴力団組員Aついては、殺人罪の前に別件の窃盗について初公判が行われた。その後、実行犯としてA、Bは殺人・
弁護側は「元町店でAは投げておらず、Bは火災瓶を1本投げたが発火していない。店員が投げ返したことで炎上した。」とし、脅し目的で殺意はなかったと否定した。2003年11月27日、神戸地裁(笹野明義裁判長)はA(死刑求刑)、B(無期懲役求刑)に無期懲役判決を言い渡した。判決では、未必的な殺意を有しており、嫌がらせ目的の犯行として酌むべき事情はないとした。一方で、多数の死傷者の発生を欲して行動したものではないとして、Aの死刑を回避。この判決に対し、弁護側が控訴し、Aに対しては量刑不当として検察側が控訴した。
2005年7月4日、大阪高裁は、弁護側・検察側双方の控訴を棄却。この判決に対して弁護側は上告した。
2006年11月16日、最高裁第1小法廷(甲斐中辰夫裁判長)はA、Bの上告を棄却した。この判決により、A、Bの無期懲役が確定した。
男性H[編集]
弁護側は、実行犯が火炎瓶を投げ込むことを知らず、殺人や放火の故意はなかったとして無罪を主張。
2009年12月16日、神戸地裁はCに懲役20年(求刑・無期懲役)の判決を言い渡した。判決では、未必の殺意をもって、火災瓶を投げた実行犯の二人を車に乗せて運んだと認定した。また、無差別的で凶悪な犯行ではあるが、立場は従属的とした。この判決に弁護側・検察側双方が控訴した。
2010年8月4日、大阪高裁(古川博裁判長)は、懲役20年とした一審神戸地裁判決を支持。検察、弁護側双方の控訴を棄却した。判決では、脅すだけと聞いていたという弁護側の主張を否定した。
男性C[編集]
AとBを仲介したとされて、殺人幇助罪に問われた男性Cは、懲役6年の判決が確定している。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 読売新聞 2013年7月11日朝刊37面「テレクラ放火殺人 無期確定へ」