真珠宮ビル管理会社顧問殺害事件

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真珠宮ビル管理会社顧問殺害事件(しんじゅくびるかんりがいしゃこもんさつがいじけん)とは、2006年3月に路上で男性が刺殺された事件。

概要[編集]

2006年3月5日午後9時45分ごろ、東京都港区北青山の路上で男性Nが殺害される事件が発生。男性Nは、背中などを刃物で刺されて、刺殺された。男性Nは、ビル会社の顧問をしており、暴力団と東京都渋谷区の雑居ビル「真珠宮ビル」の所有権をめぐる不動産トラブルを抱えていたことから、暴力団関係を中心に捜査が開始された。2005年夏ごろには、後藤組関係者がビルを不法占拠しているとして警視庁に被害相談が寄せられていた。

2006年5月、ビルの所有権登記を不正に移転させたとして、旧後藤組組長後藤忠正らが電磁的公正証書原本不実記録・同供用容疑で逮捕。その後、起訴されている(東京地裁は無罪も、2010年5月に東京高裁が懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を言い渡した)。殺害事件とは直接関係なかったが、関係者に動揺を与えたとしている。

警察は、犯行に使用されたとみられる乗用車を発見。車内にあった凶器とみられる刃物の分析を進め、実行犯をKと断定。中国に潜伏しているとみて、Kを国際手配した[1]。Kは海外に高飛びしており、台湾を経由してまもなく中国に入ると、香港、マカオなどに潜伏していたとされる。2006年6月末にKは目付役に指名された同じ組に所属する男と2人で成田空港から国外に脱出していたとみられ、出国後に2人は後藤組から破門処分されている。2009年11月、旅券法に基づいて、外務省はKに旅券返還命令を発布した。しかし、2011年4月26日朝、Kは、目付役の男とタイ・チェンライ郊外の山中を歩いていたときに、一緒にいたタイ人ガイドの男に射殺。タイ警察当局に逮捕されたタイ人ガイドは、トラブルになってKに撃たれたために発砲したと正当防衛を主張したが、Kがタイ人ガイドに発砲した形跡はかった。遺体状況からは、背後から一方的に撃たれた可能性が高いとされた。そのため、Kが何らかの事情でN殺害事件の口封じのために射殺されたのではないかという指摘がある。なお、Kが射殺された後に目付け役の男性は病死している。

警察は、男性Nの殺害のために、1年間もの間、監視体制を引いていたとみている。事件当日、北青山に止めていた乗用車の中で、Mの指示を受けたとされる元組員Kと運転手役の男Yは、Nを待ち伏せ。歩いてくるNの姿を確認したKは「おい」と声をかけると、背中と腰を刃物で強く刺して殺害したとされる。

警視庁組織犯罪対策4課は、2011年10月20日、山口組旧後藤組(現良知組)系幹部、Mを殺人容疑で逮捕[2]。逮捕容疑では、Mは事件の指示役だとされ、配下の組員にNの殺害を指示したとされた。

2012年12月3日に逃走車両の運転手役とみられる旧後藤組組員Yを、数人と共謀してNを殺害したとして逮捕した。

刑事裁判[編集]

Mの裁判[編集]

Mは、裁判で無罪を主張。配下の暴力団組員(実行犯)と共謀があったのかどうかが、争点となった。2013年3月28日、東京地裁(鹿野伸二裁判長)は、求刑通りの無期懲役を言い渡した。判決では、N殺害後に報告を受けて組員を海外に逃亡させたなどとして、犯行を指示していたと認定。「配下の者に責任をなすり付け、反省の態度が全く見受けられない」とし、「暴力団特有の考え方に基づく反社会性の高い犯行」とした。この判決に対して、不服として弁護側は控訴した。

運転手役[編集]

2011年5月31日、東京地裁は、求刑通りの懲役13年の有罪判決が言い渡した。その後、控訴せずに確定。

民事裁判[編集]

2012年8月、遺族側が「事件は山口組の資金獲得活動の一環。篠田組長らが使用者責任を負う」として、後藤元組長らに計約1億8700万円の損害賠償を求めて、東京地裁に提訴。

2012年10月4日、後藤元組長が遺族に約1億1000万円を支払うなどの内容で和解が成立した[3]

不祥事[編集]

2013年8月28日、東京地検は、証拠品の管理を担当していた男性事務官が、警視庁から受け取ったMの事件に関する捜査関係書類など222点の証拠を公判担当検事に渡さずに放置していたと発表[4]。東京地検は弁護側に謝罪して、証拠を弁護側に開示した。証拠の放置は、2013年5月31日に別の地検職員が段ボールに入ったままになっている書類を見つけたことから発覚して、人事上の処分を行う方針を決めた。

脚注[編集]