皇仙娘娘

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皇仙娘娘 (こうせんにゃんにゃん、1777年 - 1797年)は、中国朝の美少女。清に対して反乱を起こしたが、敗北して囚人の慰み者となった。

生涯[編集]

少数民族の美少女[編集]

本名は王阿従。幼い頃から巫術と武芸に高い才能を示した。また明るい性格で、伝承では綺麗に澄んだ瞳の特徴的な、花のように可憐な美少女だった。彼女の属する少数民族のブイ族は、清の圧政に虐げられていた。1797年、ブイ族は清に対して反乱を起こす。19歳の王阿従はそのトップに担ぎだされた。可憐でカリスマ性もあった彼女をかついだ反乱軍は勢力を拡大。王阿従は「皇仙娘娘」として皇帝と同じ身分を称した。

汚される美少女、そして惨たらしい最期[編集]

反乱軍は数十万人に及び勢いはますます盛んとなった。だが、やがて統制がとれなくなり、清も本格的な軍事動員を行うようになると、劣勢となる。ついに娘娘は追い詰められ、大勢の兵士に囲まれた。彼女は超人的な剣戟で多くの敵を倒したが、ついに敗北して捕らえられた。彼女は衣服を奪われ、全裸で縄をかけられて護送された。辱めに涙を流した娘娘だが、それだけでは終わらなかった。

やがて北京に到着すると、兵士たちは皇仙娘娘を牢に入れた。皇仙娘娘が驚いたことに、そこには凶悪犯として捕らえられていた男性囚人たちが大勢いたのだった。彼女が入れられたのは、男性用の雑居房だった。彼女は別の牢に入れてくれるように懇願したが、無視された。一糸まとわぬ美少女が、女に飢えた凶悪犯たちと同じ部屋で放置されれば、どのような目にあうかは明らかだった。

数日後、皇仙娘娘は変わり果てた姿となっていた。美しく澄んでいた瞳は虚ろに曇り、白い肌のいたるところ輪姦の跡が残されていた。

厳冬の12月24日、彼女は大勢の市民の前で裸体を晒された。皇仙娘娘は凌遅刑に処せられ、美しい体を切り刻まれて絶命した。

関連項目[編集]