田中正造旧宅
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田中正造旧宅(たなかしょうぞうきゅうたく)とは、栃木県佐野市小中町975に存在する民家である。
概要[編集]
出流原方面へ出る県道赤見堀米線沿い、小中の市街の中にある民家である。明治時代に足尾銅山鉱毒事件で公害問題に奔走したことで知られる田中正造が住んだという民家で、栃木県から史跡に指定されている。およそ502平方メートルの敷地内に木造平屋銅板葺き、延べ90平方メートルの住居である。
建てられたのは江戸時代後期と推定されている。田中はここにおよそ10年間にわたり住んだが、足尾銅山の事件で多忙だった田中は家を空けることが多く、そのため時には医師に無料で家を貸して村民の治療に当たらせたりしたといわれる。
大正2年(1913年)に田中が死去すると、その旧宅は田中の教え子たちの小中農教倶楽部に無償で譲られて現在に至っている。