長田河原合戦

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長田河原合戦(ながたがわらかっせん)とは、
建武四年(延元二年・西暦1337年)八月二十三日に、
九州探題一色範氏の家臣の、佐竹与次郎の率いる南朝討伐軍が、
荒木弥六郎家有の軍勢と合流して、
筑後國下妻郡長田河原(福岡縣みやま市瀬高町大字長田)で、
進軍して来た南朝菊池八郎武豊の家臣の、
平津肥前守溝口太郎の軍勢を、迎撃した合戦。

合戦経過

建武四年(延元二年・西暦1337年)八月二十四日に、
九州探題一色範氏の家臣の、佐竹与次郎の率いる南朝討伐軍が、撤退したので、
南朝菊池八郎武豊の家臣の、平津肥前守溝口太郎の軍勢が、勝利した。

参考文献

隈本縣菊池市史・上巻(菊池市史編纂委員会、1982年3月)
福岡縣筑後市史(筑後市史編纂委員会、1995年3月)
福岡縣みやま市史・通史編・上巻(みやま市史編集委員会、2019年3月)

外部サイト

関係事項

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