熊谷市両親放火殺人事件

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熊谷市両親放火殺人事件(くまがやしりょうしんほうかさつじんじけん)とは、2011年3月に埼玉県熊谷市の民家で火災が起きて、住人の夫妻が死亡した事件。

概要[編集]

2011年3月11日、民家に灯油をまいて放火される事件が発生。住人の夫妻が遺体となって発見された。

警察は遺体に煙を吸い込んだ跡が無いことなどから、放火殺人事件として捜査した。Aが逮捕されて起訴されているも無罪判決が確定している。

逮捕[編集]

2014年6月17日、死亡した夫妻の長男Aを殺人の疑いで再逮捕[1]。殺人と非現住建造物等放火の罪で起訴する。

起訴状では、2011年3月10日にAが自宅で父親と母親を首を絞めるなどして殺害。11日に複数個所に灯油をまいて放火したとした。

裁判経過[編集]

Aは捜査段階から一貫して容疑を否認。両親は心中したと主張した。火事から行方不明になって、6日後に静岡県で発見された理由については「両親の死を知り、自殺しようと考えた」とした。検察側は、借金があったAが両親の預貯金などを目的として殺害したことが考えられるとした[2]。携帯電話の位置情報から、Aは出火当時に自宅周辺にいて犯行は可能だったと主張した。

2015年3月3日、さいたま地裁(栗原正史裁判長)は無罪判決(求刑・無期懲役)を言い渡した[3]。判決では紐で首を圧迫された痕や首の骨折があった妻については他殺と認定。司法解剖で急性硬膜下血腫が見つかった夫は他殺とはいえず、自殺の可能性もあるとした。2009年に母親が悪性リンパ腫で入院してから介助が必要な状態で、2010年に父親が脳梗塞で入院したことなどから、病気を理由に父親が母親を殺害して心中した可能性があるとした[4]。母親が殺害された後に火はつけられたとしたが、Aが自宅にいた証拠はなく、第三者が放火した可能性もあるとした。検察側の2人の遺体を発見しても警察に通報しなかったという点や火災発生後に携帯電話を壊したなどの不審な行動を取っていたという主張については「犯人であることを推認させる事情とまでは言えない」として退けた[5]

2015年3月11日、検察側は判決を不服として控訴した[6]

2016年6月7日、東京高裁(朝山芳史裁判長)は、一審判決を支持して無罪判決[7]。判決では、父親の遺体に首をつった痕がない点などから1審が示した心中の可能性を否定して、両親が殺害されたと認定。しかし、携帯電話の解析などからAが室内にいたとは限らないとして犯人とするには合理的な疑いがあるとした[8]。Aが火災直後に現場周辺から離れて車の転落事故を起こすなどの行動も犯人とは結び付けられないとしている[9]

2018年2月21日付で最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は、3人の裁判官全員の一致意見で上告を棄却[10]

関連項目[編集]

脚注[編集]