火野葦平

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火野葦平(ひの あしへい、1906年12月3日(戸籍上は1907年1月25日)--1960年1月24日)は、作家。

人物[編集]

本名・玉井勝則。福岡県遠賀郡若松町(現・北九州市)生まれ。早稲田大学文学部英文科中退。1934年、劉寒吉,岩下俊作らの同人詩誌『とらんしつと』に参加。大陸での戦争出征中の1937年「糞尿譚」で芥川賞受賞、授与のため小林秀雄が現地に赴いた。従軍記『麦と兵隊』がベストセラーとなる。1939年、戦争文学で朝日賞受賞。戦後は『革命前後』などを書いた。「河伯洞」を名乗った。1960年、53歳で死去したが、のち自殺と判明した。芥川賞をとって自殺したのは火野だけである。1959年度日本藝術院賞を生前の業績で受賞した。