浪花みゆき

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浪花 みゆき(なにわ みゆき、1月26日 - )は、大阪府八尾市出身の演歌歌手である。血液型はAB型で、靴のサイズは23.0cm、視力は0.09・0.08。

現在の所属事務所は、K・Music Support。 ※K Music Supportと表記される事が多いが、実際は・が入る。

以前は、なにわ企画曽野恵子音楽事務所→花水木エンタープライズ(H.M.Kミュージック)エイトワンミュージック

現在のレコード会社は、RIVE HILLS RECORDS

以前は、キングレコードH.M.Kミュージックエイトワンミュージック

人物・略歴[編集]

2歳から演歌を歌い始める。

小学生の頃からアイドルに憧れ、オーディションを受ける。

中学生の頃、MBSラジオ、学園祭等に出演。

13歳の時、再び演歌の良さに触れて、演歌歌手を目指す。

16歳の時、大阪十字屋レコード店の店長に薦められ地元の歌謡教室に通いながらカラオケ大会に多数出場する中、何度かスカウトがあるも浪花小町と出会い、当時の事務所社長でもあった浪曲師 浪花歌笑に歌を聞いてもらった事がきっかけでなにわ企画と契約を結び、住込みしながら修行と同時に、浪花みゆきとして歌手と浪曲の両方で活動を始め、デビューに伴い、作曲家 榎谷おさむ にレッスンを受ける。

因みに名前の由来は1月生まれで、事務所と契約した時期も1月だった事から冬美、小雪、美幸という名前も候補にあったが、最終的にみゆきと付けられた。

20歳を過ぎた頃、事務所に出入りしていた歌手 曽野恵子の身の回りをするように言われる。

1年後、曽野恵子からの要望もあり、曽野恵子音楽事務所に移籍する。

1997年ファンクラブが発足されファンクラブツアーが年に一回行われた。海外ではハワイ、韓国、台湾、日本では沖縄で行われ、これ以外にもバスツアーなどが行われた。

2012年4月9~12日に日台友好親善大使として、台湾公演、台北101周辺にてパレードにも出演する。この模様は翌日台北の新聞に掲載され、この時、日本からレコード会社、ファン多数が応援に同行した。

2015年、曽野恵子音楽事務所との契約終了となり、ファンクラブも同時に終了。なお、曽野恵子音楽事務所に在籍中、映画、TBSのドラマにエキストラ出演経験もある。

半年間フリーで活動するが、HMKミュージックの当時のマネージャーからスカウトされ、花水木エンタープライズとHMKミュージックに所属する。

この時に当初、浪花みゆきで活動していたが、マネージャーと作曲家・松原昌平により、心機一転変える為、周囲との連絡を断つよう言われ、芸名改名し、はなみずき圭として2年間活動するも、方向性の違いから事務所を辞める。

この時芸名を再び、浪花みゆきに戻したが、二カ月後怪我をきっかけに昔から出入りしていた河内音頭 生駒一のお店に遊びに行った際、生駒会の事務所であるエイトワンミュージックに所属する事になり、当初 浪花みゆきだったが、生駒の事務所という事から、レコーディング直後に名前を生駒みゆきに改名するも、歌手として活動を続けていきたい思いから浪花みゆきに戻し、現事務所 K・Music Supportに移籍する。但し、生駒みゆきとしても活動は続けている。

ディスコグラフィ[編集]

外部リンク[編集]