津田沼戦争
ナビゲーションに移動
検索に移動
津田沼戦争(つだぬませんそう)とは、千葉県習志野市のJR総武線津田沼駅付近の商業的な進出競争のこと。
概要[編集]
1970年代から80年代にかけて起こった。1977年からの2年間で、西友、パルコ、イトーヨーカドー、丸井、ダイエー、高島屋などが進出した。 さらに、学習塾間の競争も活発になり、中学・高校・大学受験のための予備校が次々進出した。千葉工業大学や日本大学が近くにある他、、当時は順天堂大学もあった。
しかし、北総鉄道や東葉高速鉄道の開通によって、白井、印西、鎌ケ谷、八千代などに住んでいる人が津田沼を経由しなくても都内に出られるようになった。また、幕張や南船橋などで広い駐車場を備えたショッピングモールが次々とオープンしたことで、津田沼の熱狂ぶりは冷めていった。その後、丸井はミーナに、高島屋とダイエーだった建物はディスカウントショップを経てモリシアに変わり、モリシアの中にはダイエーが再出店した。パルコは閉店し、モリシアも閉店を決定している。