波崎シーサイド道路

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波崎シーサイド道路(はさきシーサイドどうろ)は、茨城県神栖市波崎地区にある道路の通称。神栖市が管理しており、正式には市道1-9号線、通称は単にシーサイド道路である。一部区間が込み入った事情により長期間通行不能となっていた。

通行止め[編集]

神栖市が誕生する前、波崎町時代に鹿島臨海工業地帯開発に合わせて建設された。このシーサイド道路は開通からしばらくは一般車両が普通に通行できたのだが、1994年に波崎町押揚地区の土地を同町在住の男性(2020年頃死去)が購入。この購入した土地にシーサイド道路の土地が含まれていたからさあ大変。境界をめぐって町VS地主男性の裁判がスタート。一審では波崎町の勝訴となったが二審は逆転敗訴。最高裁判決で町の敗訴が確定[1][2]。その後、新たな事実が判明したことで買収交渉中に地主は貸借を拒否し、2005年に誕生した神栖市が交渉を引き継いだが、交渉額を半減させたことで交渉は決裂[3]。2006年から地主が道路を封鎖してしまい、通行しようとした自動車に対して通行料(500円。当時の金額)を徴収開始。行政側も解決が不可能と判断したのか、この私有地を含む区間は通行止めとなってしまった。この男性が道路を通行止めにしてしまったことで道路事情が悪化し、隣接するキャンプ場、商店の殆どが潰れてしまったという。長きにわたり神栖市道路整備課に「特定道路対策室(市道1-9号線に関すること)」と呼ばれる部署を置いて解決を図ろうとするも、難航していた。

この地主男性は非常に危険な人物で、2009年には迷い込んだ車のドライバーに通行料を請求し、ドライバーがそれを断ると肘鉄で窓ガラスを割ったり、2012年には男性が運営する駐車場で知人男性が地面に湯呑み茶碗を置いただけで激昂して水中銃を発射(酒に酔っていたという)し、2022年には通行者とトラブルとなり軽トラではねるなど、3度も逮捕沙汰になったという話が伝わっている(2022年の事件は後に罰金刑を受けている)。市側も当該区間手前に多数の警告看板を立てており、最終の警告看板には

この先の通行止区間においてのトラブルや係争について当市は一切関与しない

と書かれていた。

なお地主の男性は高齢となり、管理は息子に任せていたという。

和解前は侵入がないか常にモニタリングしていたため、私有地の目の前にいるだけでスピーカー越しに怒鳴られたり、通行料金(罰金?)が当初500円だったのが最終的には4万円に値上げされ、支払えない場合は車をその場に預かられてしまう(一日ごとに4万円が利子として追加)など、要塞レベルの物々しさとなっていた。これらの事情もあり、YouTube等の動画投稿サイトでも和解前に突撃を試みた動画は確認できない(和解直前の2022年12月に現金4万円を用意して突撃した者が居たが、上記の事件の関連か不在であったため通行できなかったという)。

2020年頃に地主が死去したことを受け、2022年に長男が土地を相続。市は相続した長男と交渉し、2023年2月27日に市が和解金を支払うことで合意。その後路面整備を行い2023年7月10日に再開通する見込みとなった。 不通区間には神栖市と県外在住の者も含めた共有地があり、これらは市が管理することになる。

出典[編集]

  1. シーサイド道路”. 障害報告@webry (2004年11月29日). 2022年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月3日確認。
  2. シーサイド道路通行止めの経緯”. 地域未来研究会 (2009年5月29日). 2022年11月3日確認。
  3. 「シーサイド道路」に関連する情報”. テレビ紹介情報. 価格.com. 2022年11月3日確認。