江戸六阿弥陀
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江戸六阿弥陀(えどろくあみだ)は江戸市中および近郊の6寺に安置されている阿弥陀如来木像またはその仏像を本尊とする寺院である。「武州六阿弥陀霊場」ともいう。
1700年前後の元禄年間から春秋の彼岸に六阿弥陀を巡拝することが流行した。もとは「六阿弥陀霊場」であったが、他と区別するため、後に「江戸」が付けられた。六ヶ寺に「木余り如来」と「末木の観音」を加えた八ヶ寺から成る。大田南畝(蜀山人)編の『ひともと草』に「道のり凡五里ばかり」と書かれる。
六阿弥陀の構成[編集]
- 一番:西福寺 - 本尊は阿弥陀如来、北区豊島2丁目
- 二番:恵明寺 - 本尊は阿弥陀如来、足立区江北2丁目、江戸時代に甘露山 延命院 応味寺(真言宗)から移管
- 三番:無量寺 - 本尊は阿弥陀如来、北区西ヶ原1丁目
- 四番:与楽寺 - 本尊は阿弥陀如来、北区田端1丁目
- 五番:常楽院 (調布市) - 本尊は阿弥陀如来、調布市西つつじヶ丘4丁目
- 六番:常光寺 - 本尊は阿弥陀如来、江東区亀戸4丁目
由来[編集]
與楽寺資料に由来が残る。聖武天皇の平安時代、足立庄司宮城宰相の娘が近郷の豊島左衛門清光に嫁したが、離婚となって里帰りの際に12人の侍女たちとともに、荒川(現隅田川)に身を投げて命を絶った。足立少輔は悲しみため諸国の霊場を巡拝したが、紀伊国熊野権現で1本の霊木を得て、熊野灘へ流すと、やがて国元の熊野木に流れ着いた。長者は諸国行脚中の行基に経緯を話したところ、行基は一夜で六体の阿弥陀仏を彫り上げた。後に六体の阿弥陀仏像を近隣の各寺院に祀った[1]。