李牧
李 牧(り ぼく、? - 紀元前228年[1])は、中国の戦国時代の趙の武将。名将として秦軍の侵攻を何度も退けたが、謀略により趙王によって誅殺された。
生涯[編集]
李牧は李曇の孫、李璣の息子、李雲の弟、李斎の兄である。また、李汨・李弘・李鮮の3人の息子がおり、孫に李諒・李左車・李仲車がいる。
最初、李牧は趙の北部において匈奴を相手に備える武将だった[1]。彼はよく士卒を統率し、無闇に烽火を上げず、多くの間諜を放って決して戦おうとしなかった[1]。そのため敵味方を問わずに李牧は卑怯者と罵られ、趙王は李牧のやり方に不満を抱いて召還し、別の武将を将軍にして匈奴に当たらせた[1]。ところが後任者は損害が余りに多かったので、やむなく趙王は再度、李牧を匈奴に備えさせた[1]。その数年後、李牧は趙に侵入した匈奴と戦って10万余りを殺害する大戦果を挙げ、匈奴は李牧を恐れて趙の城に近づこうとしなくなった[1]。
この頃、天下統一を目指す秦は政の下で趙に侵攻を繰り返していたが、李牧の前に敗れていた[1]。このため、李牧は功績により武安君に封じられた[1]。
紀元前229年、秦は王翦・羌瘣を大将にした軍を趙に送り、趙の幽繆王は李牧に防がせた[1]。秦は李牧を排除するため、幽繆王の寵臣である郭開に賄賂を贈り、その見返りに李牧が謀反を起こそうとしていると幽繆王に吹き込ませた[1]。幽繆王は多大な功績と名声を誇る李牧を内心では恐れており、そのためこの噂を信じた幽繆王は李牧を誅殺したという[1]。
李牧の誅殺からわずか3か月後、王翦によって趙の首都・邯鄲は陥落して、趙は滅亡した[1]。
『史記』の著者である司馬遷は、李牧より一世代上の趙の名将であった藺相如・廉頗・趙奢らと李牧を一緒に載せて同格としている[2][3]。
李牧が登場する作品[編集]
- アニメ
- 漫画
- 『キングダム』