有富慶二

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

有富慶二(ありとみけいじ、1940年7月25日 - )は元ヤマト運輸株式会社社長。元ヤマトホールディングス代表取締役社長・会長。イノベーションを起こすのは社長の仕事として、コストセンターであったヤマトオートワークスを子会社に立ち上げた。現在の社員2,147名、車両管理サービス、自動車整備事業・フォークリフトの修理及び検査業務、自動車販売業・中古自動車販売業、冷凍、冷蔵機器および荷役用運搬機器の修理など幅広い業務を担い、社外の仕事も受注する。売上高は544億1999万円(2018年3月期実績)である。

経歴[編集]

  • 1940年7月25日、栃木県生まれ。
  • 1959年3月 栃木県立栃木高等学校卒業。
  • 1963年3月、中央大学法学部卒業。4月、大和運輸株式会社入社。
  • 1973年6月、大和運輸株式会社、大宮主管支店長。
  • 1985年3月、大和運輸株式会社、営業推進部長。
  • 1989年6月、大和運輸株式会社、取締役営業推進部長。
  • 1991年6月、大和運輸株式会社、取締役関東支社長
  • 1993年10月、大和運輸株式会社、取締役東京支社長
  • 1995年6月、大和運輸株式会社、常務取締役東京支社長
  • 1997年6月、大和運輸株式会社、代表取締役社長に就任。
  • 2003年、ヤマト運輸株式会社、代表取締役会長兼デリバリーカンパニーチェアマン。
  • 2005年、ヤマトホールディングス、代表取締役会長兼社長に復帰。
  • 2006年、ヤマトホールディングス、取締役会長に就任。
  • 2007年、パルコ社外取締役に就任。
  • 2010年、ヤマトホールディングス取締役会長を退任し相談役となる。
  • ヤマトホールディングス株式会社特別顧問

人物[編集]

  • 有富はラストワンマイルでヤマトは圧倒的に強いと考えている。ラストワンマイルを強化すれば固定費はかかるが、手薄にするつもりはないと語る。
  • 有富は問題を考えていれば、必ず解決できると語る。
  • 有富は事業の命は30年、1つの事業が30年も50年も続くことは難しい。当時のヤマトの組織は衛星型の縦組織であったが、退任取締役など役員が子会社の社長になると、は親会社からもらう仕事に甘んじている。そこで衛星型をやめて水平型の組織に切り替えたと語る。