日本書紀私記
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日本書紀私記(にほんしょきしき)は『日本書紀』の講書を記録した講義録である。「日本紀私記」ともいう。
沿革[編集]
721年(養老5年)に第1回講書が行われ、965年(康保2年)まで7回行われた。
残巻写本の状況[編集]
講書の都度、博士が私記を作成したとされているが、現在は残巻4種と『釈日本紀』などに注記された逸文が残っている。甲乙丙丁の4種の残巻は、それぞれ甲本は弘仁、丁本は承平の講書と想定されている。甲本は『弘仁私記』と呼ばれる。本文の訓読であるが、『日本書紀』の意味解釈をするために重要な史料となっている。
写本・原本[編集]
インターネットで閲覧できる写本として、愛媛大学、早稲田大学、国立国会図書館がある。
- 早稲田大学写本は「日本書紀私記巻上并序」と題され、所謂、「弘仁私記序」である。1729年(享保14年)の写本である。
- 愛媛大学鈴鹿文庫愛媛大学では、弘仁四年の日本書記私記序、承平六年の日本書記私記零本を公開する。
- 国立国会図書館本は清水濱臣旧蔵、榊原家蔵との印がある。
明治22年写本は彰考館本(水戸の彰考館写本)の転写本であり、甲本、乙本、丙本の書写である。全体的には忠実な写本となっている。奥書には文久2年に栗田博が書写した記録が記載されている。次に明治9年9月に栗田本を小杉榲邨は書写した記録がある。最後に明治22年に藤忠園也が学生に書写させたと書かれる[1]。ほとんど異同や誤記の見られない忠実な写本であるが、声点の類や本文の字詰め・行詰めなどの面においては、祖本とは異なる意図で記されているとされている。
注[編集]
- ↑ 杉浦克己(2006)「」Journal of the University of the Air Vol.23, pp.142(1)-134(9)