日本書紀私記

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日本書紀私記(にほんしょきしき)は『日本書紀』の講書を記録した講義録である。「日本紀私記」ともいう。

沿革[編集]

721年(養老5年)に第1回講書が行われ、965年(康保2年)まで7回行われた。

  1. 721年(養老5年)
  2. 812年(弘仁3年)
  3. 843年(承和10年)
  4. 878年(元慶2年)
  5. 904年(延喜4年)
  6. 936年(承平6年)
  7. 965年(康保2年)

残巻写本の状況[編集]

講書の都度、博士が私記を作成したとされているが、現在は残巻4種と『釈日本紀』などに注記された逸文が残っている。甲乙丙丁の4種の残巻は、それぞれ甲本は弘仁、丁本は承平の講書と想定されている。甲本は『弘仁私記』と呼ばれる。本文の訓読であるが、『日本書紀』の意味解釈をするために重要な史料となっている。

写本・原本[編集]

インターネットで閲覧できる写本として、愛媛大学早稲田大学国立国会図書館がある。

明治22年写本は彰考館本(水戸の彰考館写本)の転写本であり、甲本、乙本、丙本の書写である。全体的には忠実な写本となっている。奥書には文久2年に栗田博が書写した記録が記載されている。次に明治9年9月に栗田本を小杉榲邨は書写した記録がある。最後に明治22年に藤忠園也が学生に書写させたと書かれる[1]。ほとんど異同や誤記の見られない忠実な写本であるが、声点の類や本文の字詰め・行詰めなどの面においては、祖本とは異なる意図で記されているとされている。


[編集]

  1. 杉浦克己(2006)「」Journal of the University of the Air Vol.23, pp.142(1)-134(9)