新田次郎
ナビゲーションに移動
検索に移動
新田次郎(にった じろう、1912年6月6日-1980年2月15日)は、作家。
人物[編集]
本名・藤原寛人。長野県生まれ。無線電信講習所本科卒。伯父は気象学者・東京帝国大学教授として著名だった藤原咲平。筆名は「新田」(しんでん)の次男ということでつけたもので、新田義貞とは関係ない。作家を目ざして研鑽を積むが、妻・藤原ていが満州からの引き上げ体験を描いた『流れる星は生きている』が1949年に刊行されてベストセラーになり、焦る。編集者の勧めで「強力伝」をサンデー毎日の懸賞小説に出したところ当選し、55年、これを表題とする短編集が刊行され、直木賞を受賞。43歳と遅い出発になった。
山岳小説を中心としつつ『武田信玄』『新田義貞』などの歴史小説も描き、1974年『武田信玄』などで吉川英治文学賞を受賞。同作は1988年NHK大河ドラマ「武田信玄」(中井貴一主演)の原作となった。だが新田の名を高めたのは八甲田山雪中行軍遭難事件を描いた『八甲田山死の彷徨』が、1976年映画「八甲田山」としてヒットした時のことである。67歳で死去。息子は数学者の藤原正彦。