成田線大菅踏切事故

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成田線大菅踏切事故(なりたせんおおすげふみきりじこ)とは、1992年9月14日に発生した鉄道事故である。

概要[編集]

1992年9月14日、千葉県のJR成田線久住駅滑河駅間にあり、千葉県道103号線と交差する大菅踏切で発生した事故。すでに遮断機が下りていたにも関わらず、線路内に留まっていたダンプカーと電車と衝突した。
電車は、113系の4両編成で、千葉駅始発佐原駅行きであった。衝突により、電車の先頭部分が大破したほか、電車の運転手が重傷を負った。
運転手は、衝突時点では生存していたものの、激しく変形した運転室からの救出に時間がかかり、病院への搬送中に死亡した。

事故原因[編集]

この事故の原因は、踏切を通過しようとしたダンプカーの過積載にある。事故を起こしたダンプカーの最大積載量は8750㎏であったが、実際にはその4倍以上の山砂を搭載していた。
そのためブレーキが利きづらく、ダンプカーは踏切の停止線で止まり切れずに線路にはみ出してしまった。
なお電車の運転士は、踏切上のダンプカーを視認すると、すぐに非常ブレーキをかけ、パンタグラフを下げて電源を遮断するなどの安全措置をとっていたことが明らかになっている。

その後[編集]

事故を起こした編成の先頭車はもはや修復不可能であり、程なくして廃車された。
JR千葉支社は、電車の前面の強度を上げるため、既存の電車の前面に強化鉄板を張り付ける工事(鉄仮面化)を行った。また、この事故が教訓となり、209系以降のJR東の新造車両には、自ら壊れて衝撃を吸収するクラッシャブルゾーンや、非常時に運転室から客室へ脱出できる脱出口が標準で装備されるようになった。
JR東日本は、車両の損害や復旧費用など合計1億3000万円あまりの賠償を求める民事裁判を起こした。その結果、千葉地裁はダンプカーの運転手、山砂輸送の依頼主、運転手が所属する会社とその従業員2人に合計1億円あまりの賠償を命じた。
この事故のほかにも、トラックの過積載による事故が多発したため、1994年に道路交通法が改正され、過積載への取り締まりや罰則が強化された。
事故があった踏切は立体交差化され、現在は陸橋で線路をまたいでいる。